第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)5
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
予想外の出来事に、一瞬、思考が混乱する。
――これは徒事(ただごと)ではない! すぐに対処せねば!
脳裡には最悪の考えが浮かんでいた。
敵の先陣大将が先頭をきって向かってくるということは、小手調べの渡河のはずがない。
実際、川を渡り始めた敵勢の背後に、夥しい数の旗幟(きし)が見えている。まるで長尾景虎の本隊が控えているような気配だった。
――このまま柿崎に川を渡らせてしまえば、この戦、負けるやもしれぬ!
それが信繁の直感だった。
――われら先陣の虚を衝き、一気に本陣まで貫くつもりだ。柿崎の後ろには、越後の本隊がいる! どうする、信繁? こちらもすぐに打って出るか。それとも、岸辺で相手を迎え撃つか……。
逡巡(しゅんじゅん)している暇はなさそうだった。
敵の動きには、まったく躊躇(ちゅうちょ)がない。
「わが駒を引け! 川中で敵を迎え撃つぞ!」
信繁の周囲に集まってきた将兵に命じる。
「正面から騎馬でぶつかり、相手を川中で止めるぞ! 足軽の者どもは槍衾(やりぶすま)にて岸へ上がろうとする敵を迎え撃て!」
強張りそうになる軆(からだ)を動かし、信繁は家臣が引いてきた愛駒に飛び乗る。
――今ならば、まだ間に合う! 半渡での乱戦に持ち込めば、相手の先鋒を止めることができるはずだ!
迷いをうち捨て、己の勘に従うと決めた。
「行くぞ、者ども!」
信繁は槍を手に、愛駒を犀川へ飛び込ませる。
武田勢の先陣騎馬隊五百も、大将に続いた。
先頭を走っていた黒ずくめの武将を追い抜き、敵の騎馬武者一団が速度を上げる。
越後勢は奇襲と思えないほどの兵数で迫っており、明らかに騎馬隊が突破口を開いた後に、後続の部隊を岸へ導こうとしているようだった。
それを武田の先陣騎馬隊が迎え撃ち、犀川の真中で押しつ押されつの乱戦となる。
馬上槍を得意としている信繁は、勇んで突きかかる敵の攻撃を的確に捌(さば)いてゆく。相手の一突きを軽々と受け流し、すれ違いざまに石突(いしづき)で返しの一撃を見舞う。
水嵩がないとはいえ、川底は苔(こけ)の生えた石で埋め尽くされており、馬が姿勢を崩せば、騎手はあっという間に鞍(くら)から転げ落ちる。水の中で起き上がろうとする敵の喉元に止(とど)めの一撃が放たれた。
同じような要領で、信繁は敵の騎馬武者を次々と倒してゆく。
そこへ、ひときわ馬体の大きな一騎が迫ってくる。その武者は黒鹿毛(くろかげ)の馬に跨(またが)り、黒糸緘(くろいとおどし)の具足に身を固め、胴には金泥の紋が描かれていた。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。