第六章 龍虎相搏(りゅうこそうはく)5
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
虎昌は先頭を行く足軽頭を怒鳴りつける。
「……も、申し訳ござりませぬ。されど、道を誤ってあらぬ方角へ進まないよう、幾組かの物見を出し、も、戻りを待っておりまする」
足軽頭は怯(おび)えた表情で答える。
「さような者を待っていては、決められた刻限に間に合わぬではないか! いいから、このまま下りるぞ!」
「あ、相済みませぬ。されど、闇雲に進み、まかり間違って刻限の前に敵陣の真っ只中へでも出ましたら……」
「刻限の前に敵陣の真っ只中、だと?」
虎昌は大きな溜息をつく。
――確かに、敵陣の真っ只中へ刻限前に突っ込めば、奇襲の策が台無しになってしまう。さりとて、このままの歩みではとうてい間に合うとは思えぬ。どうする、虎昌? 村上義清の首級(しるし)を上げるために山へ入ると御屋形様へ大見得を切ったのは、お前ではないか。
歯嚙(はが)みする赤備衆の大将に、甘利(あまり)昌忠(まさただ)が声をかける。
「兵部殿……」
この若武者は、村上義清に討ち取られた甘利虎泰(とらやす)の忘れ形見だった。
報仇(ほうきゅう)のために奇襲隊へ加わると言った虎昌の思いを汲(く)み取り、信玄がわざわざ朋輩(ほうばい)の息子を付けてくれたのである。
「いかがいたした、昌忠」
「兵部殿、水の音が聞こえませぬか」
「水の音?」
「はい。三滝というからには、この辺りに滝があり、それが沢へ流れ込んでいるのではありませぬか」
甘利昌忠に言われた通り耳を澄ますと、霧の中から水の流れる音が微かに響いてくる。
「うむ。確かに聞こえるかもしれぬ」
虎昌はそう呟きながら腕組みをする。
――この三滝には三段の滝があり、それが沢渡りの小川となって倉科まで流れていると道鬼斎(どうきさい)が申しておったな。山中で迷子になったならば、沢を探せか……。
「兵部殿、敵も水場を確保して陣を布いているでしょうから、このまま沢を辿っていけば、霧があっても麓へ着けるのではありませぬか」
甘利昌忠は、亡き父の朋輩だった漢(おとこ)の表情を窺いながら進言する。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。