よみもの・連載

初恋父(と)っちゃ

第八回

川上健一Kenichi Kawakami

「おいおい、どごさ行ぐど。そっちゃ行ったらパトカーどにらめっこだどッ」
「灯台下暗し作戦だ。あのパトカーが右折した頃を見計らって交差点に行けばパトカーはいない。小澤、シートベルトを締めろってば」
「チマチマ逃げないで派手にブワーッとぶっ飛ばそうよ」
 小澤が後ろから身を乗り出して煽る。スリルを期待して目が爛々(らんらん)と光っている。
「小澤、イガ(お前)変なスイッチ入ったんでねが? 別人になったど。とにかくイガは黙ってろ。映画じゃねんだがらな。水沼、分がってるべ、ゆっくり出ろよ」
 山田がスピードを抑えろと手を上下に振る。パトカーが止まっていた交差点への道が目の前に迫っていた。三人は雁首揃えるようにして交差点方向を覗き込む。こちら側の車線の信号は赤になっていてトラックが一台停車している。交差点にパトカーはいない。コンビニエンス・ストアの方向に走り去ったようだ。水沼はバックミラーを上目づかいに見上げる。バックミラーにパトカーは現れていない。車を左折させて信号待ちしているトラックの後ろでブレーキを踏む。
「よし。もう大丈夫だ」
 水沼の声が緩む。車内はホッとした空気に満ちた。
「こりゃあバヤバヤしてられねな。特捜部も警察も寄ってたかってワば捜してるかもしれね。ちょぺっと(少し)早いども、みどりちゃんが引っ越した住所さ行ってみべし」
「こんなに早い時間に訪ねて行って、もしも夏沢みどりが出てきたら、俺たちは礼儀知らずだと嫌われてしまうかもなあ」
 水沼はしかめ面をしてしまう。小澤がせせら笑いながら、
「いまさら嫌われたってどうってことないじゃない。それとも新しいロマンスが始まるかもと期待してるのか?」
『前の黄色い車の運転手さん』
 いきなり背後から、男の声が拡声器を通して小澤の声をはね飛ばした。三人は思わずギクリとして固まる。目の玉が飛び出しそうな顔をしている。それから後ろを振り向く。いつの間にかパトカーがピタリとくっついている。
『信号が変わったらそのまま交差点を直進して少し行った所で左側に停車してください』
 助手席側の制服警官が左手にマイクを持ち、右手をかざして前方を指さしている。
 水沼は分かったと手を振って答える。これでは逃げようがない。運転技術では当然パトカーを運転している警察官に敵わない。向こうは高速カーチェイスの訓練をしている。水沼はといえば、スピードを出してもせいぜい制限速度を十キロほどオーバーするだけだ。
「山田、アウトだな。小澤、いまさら逃げてももう遅い。ジ・エンドだ」
「何いってんだ! 信号変わったらゆっくり直進する振りして反対車線に猛ダッシュだ! 逆走すれば危なくてパトカーもひるむ。それでカーチェイスしてパトカーを振り切る映画が何本もある! ワクワクドキドキの派手な逃避行しようって決めたじゃないッ。どうせ捕まるならパーっと散ろうよ!」
 小澤の目が妖しげに光っている。
「どうどうどう! んだすけ映画じゃねえってば。映画は物語だ。作り話。実際にはうまくいく訳がねえの。カーチェイスなんかしたら運転操作誤ってドカン! 俺たち三人は一巻の終わりだ。俺たちだけだばいいども、でんだりかんだり(他の誰か)巻き込めばてへだごどになる(大変なことになる)。それよりもワの話っこ聞げ。いいがイガど、夏沢みどりのことだどもな」
「事実は小説より奇なりっていうじゃない! 人生何事もあきらめたらお終い! 最後の最後まで夢を捨てちゃダメだよ! カーチェイスだ! 水沼ッ、スマホで映画みたいにかっこ良く撮影してやるから頑張れ!」
「意味分からんけど、一丁やってみるか」
 水沼は小澤を振り向いてニヤリと笑ってみせる。会社の社長室にいる時には見せないいたずらっぽい笑みを浮かべている。

プロフィール

川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。

Back number