第九回
川上健一Kenichi Kawakami
水沼は憮然として立ち尽くし、ガラス張りのビルを見回して、
「函館で聞いた住所だとここになっているんだけどなあ」
と溜め息をひとつ。
五階建てで、横幅の方が少しだけ大きい。道路からエントランスまでは樹木が等間隔に整然と並んでいて紅葉した葉が微風に揺らめいている。玄関は大きなガラスの自動ドア。その上の方に銀色にメッキされた会社名の文字が光っている。遠くに札幌の中心街の大きなビル群が見える。この一帯は小さなビルばかりで、その中では目の前の建物は大きな方だ。住宅街とはまるで違う。
水沼と山田と小澤は玄関前に並んで立って思惑が外れたという表情で顔を見合わせる。思惑外れ。
「まあ、高校生の夏沢みどりが引っ越してきた当時から半世紀近く経っているからねえ。札幌のような大都会でそれだけの年月が流れれば、かつての住宅街がビル街に変わってしまうのは当たり前だよね。ということは、初恋探しはここでストップか」
小澤は腕組みをしてビルを見上げる。
「待じろ待じろ(待て待て)。夏沢みどりの一族がこの会社のオーナーということもありだど。もしくはビルのオーナーってこともありうる。どらどら、入って聞いてみるべし」
山田が玄関に向かってずいと歩き出し、水沼と小澤が後に続く。
自動ドアを抜けると二つの視線が出迎えた。赤い口紅の受付嬢とその脇に立っている帽子をかぶった制服の警備員。
「いらっしゃいませ」
受付嬢が立ち上がって笑顔を向ける。警備員に笑顔はない。ジャケットを着ているとはいえ、ノーネクタイのラフな格好の三人の来訪に警戒の色が浮かんでいる。
ちょっとお尋ねしますが、と水沼が口を開き、住所をいって確かめる。
「はい。そうです。確かにここの住所です」
受付嬢がたおやかに微笑む。
「夏沢さんという方はこちらの会社におられますか? もしくは、ここのビルの持ち主が夏沢さんという方ではありませんでしょうか」
「いいえ。当社に夏沢というものはおりません。それにこのビルは自社ビルです。どういうご用件でしょうか?」
「四十年くらい前に函館からここの住所に夏沢さんという同級生が引っ越ししたんです。それで訪ねてきたのですが、現在は御社のビルだったものですから、もしかしたら夏沢さんと何か関係がある会社なのではと思ったんです」
「そうですか。せっかくお越しいただいたのですが、弊社に夏沢という者はおりません」
あの、と山田が前に進み出る。
「こちらの会社がここにビルを建てた当時のことに詳しい方はいませんかねえ。その方なら、もしかしたら以前ここに住んでいた夏沢さんのことを知っているかもしれません」
訛(なま)りはない。標準語だ。
- プロフィール
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川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。