第四章 知覧・鹿屋
八木澤高明Takaaki Yagisawa
「戦時中で特に印象に残っていることはありますか?」
「グラマンやB29が空襲に来たな。うちのおやじなんかは警防団員だったから、、グラマンの飛行機が来たら、今、向こうに山があるでしょ、あの山の中に鐘があって、それ叩いて知らせていた。戦時中に兵隊さんから聞いた話では、胴体が二つある飛行機がおるでしょう。戦闘機のP38っていうたかな。それが日本に来るようになったら、日本が負けると。あれは航続距離が短いから、もう本土の近くまで敵に占領されているということだと。あと、学校の裏に防空壕があって、そこから飛行機が空中戦しているのを見ていたんです。飛行機が落ちて、やったと、手を叩いて喜んでいたら日本の飛行機やった。アメリカの飛行機は全然落ちなくて、一回B29が高射砲で落とされたことぐらいかな」
「戦時中から戦後の食料事情とかはどうだったんですか?」
「米なんかはもう配給で、隣組の班長さんが取りにいって、それを分配して。知覧は飛行場があって、そこに兵隊の連中がずっとようけおったでしょ。あの連中の他に防衛隊の連中もおったから、米はたくさんあったらしいよね、飛行場にね。僕なんか終戦になった時には、向こうの山の奥に逃げたんですよ。学校なんか休んで、たしか二日ぐらい休んだかな。それで下りてきたら、警察がもう全然だめだもんな、泥棒が横行して。飛行場にいろんな食料がたくさんあるわけ。航空兵が食べるビスケットとかがね。それを同級生で向こうの部落におる連中が、盗んできたんですよ。だからもう学校に行ったら、ビスケットがいっぱいあって、何ぼでも食べよったよ。あんまり腹をすかした記憶はなかったな」
「戦前に話を戻しますと、この通りに内村旅館がありましたよね? あの旅館というのは、どういう使われ方をしたんですかね?」
「兵隊で南方のほうに行く連中を、そこに分宿させて、その後、何人かずつ連れて行きよったですよね。そこにやっぱり兵隊の家族も来よったですよ」
「ただ宿泊するだけのものだったんですかね? 芸者とか、そういう人たちもいたんですか?」
「いや、いない、芸者なんかはね。他のところに割烹があったんですよ、そこにはいましたけどね」
「戦後になると、米軍が来たでしょう? やはり珍しかったですか? 日本をやっつけた人たちですし、複雑な思いでしたか?」
「いやあ、珍しかったですよね。戦争中にさっきB29が落ちたと言ったでしょう。そん時一人米兵が捕まっているんです。近くの警察にその米兵が連れて来られて、町の人に見せたんですよ。それまで米兵なんて見たことがなかったですから、大きいなと思いましたね」
「戦争が終わって米兵が進駐して来た時、地元の人との軋轢(あつれき)みたいなことはありましたか?」
「いやいや、全然そういうのはなかった。旅館に来てちょっと遊ぶぐらいで」
「トメさんの本を読んでいると、米軍が来た時に、その内村旅館が米兵の接待所になっていたみたいなことが書いてあります」
「そうそう。アメリカ兵が泊まり込んで。だいたい十人ぐらいいたかな」
「女の人はいたんですか? ちょっと言い方悪いかもしれないですけど、売春する女の人もいたと書いてあったんですけど?」
「それはね、いても旅館の女中じゃないかな。アメリカ人が来たら、女中の連中に何かやっぱりサービスをさしたりしよる。子どもができたから。たしか二人ぐらいは生まれている。だから、そういうことがあったのかな。それでもおかげさまで、その女の子にニワトリかなんかの丸焼きが送られてきたりする。いろんな外国の品物とかね」
- プロフィール
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八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。