聖夜に
下村敦史Atsushi Shimomura
宿泊キャンセルを希望した男性は、フロント係が身分の確認をお願いしたところ、支離滅裂な言いわけをして撤回し、「マリカ・サントスという女性が現れたら教えてほしい」とだけ告げて立ち去ったという。男性はそのままエントランスラウンジに残っている。
堀之内は眉を顰(ひそ)めた。
「もしかしたら──マリカさんに付(つ)き纏(まと)う男かもしれません。彼女は性質(たち)の悪い男に捕まっているんです。僕の手紙を見て、日本まで追いかけてきたのかもしれません。もし鉢合わせしたら──」
岡野はうなずくと、エントランスラウンジへ向かった。座席を見回すと、一番奥のソファに件(くだん)の男性が座っていた。脚を組み、不遜な態度で出入り口を睨みつけている。
「お客様」
声をかけると、細面の男性は顰(しか)めっ面(つら)の顔を上げた。
「お客様がお待ちの女性についてですが──」
「お」
細面の男性の瞳に興奮の色が宿った。
「こちらではなく、『ヴィクトリアン・ホテル大阪』のほうに滞在されていると分かりました。よろしければ新幹線のチケットをお取りいたしますが」
細面の男性は思案する表情でうなり、わずかに躊躇(ちゅうちょ)を見せたものの、「お願いします」と答えた。
ホテルマンとして嘘はついていない。
今から東京駅へ向かって新幹線に乗ると、上りと下りでちょうどすれ違うだろう。二人が顔を合わせることは決してない。女性は安全だ。
岡野は堀之内のもとへ戻った。細面の男性をちらっと振り返ってから堀之内に向き直る。
「日が変わるまでにお会いできますよ」
クリスマスのささやかな奇跡は、『ヴィクトリアン・ホテル』で起こる。
- プロフィール
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下村敦史(しもむら・あつし) 1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞し、デビュー。他の著書に『生還者』『失踪者』『告白の余白』『黙過』『刑事の慟哭』『絶声』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』など多数 。