-短編ホテル-「グレート・ナンバーズ」

グレート・ナンバーズ

真藤順丈Junjou Shindou

@ 塔と神殿のホスピタリティ

〈コンシェルジュ〉

 深夜、スイートの客がスタッフを部屋に呼びつける。
 向かうのは、ナイトマネージャーを兼ねる景山(かげやま)コンシェルジュだ。
 優秀なコンシェルジュなので、働いているホテルのことは残らず頭に入っている。本日の客室稼働率:六〇パーセント。客数:九八五〇人。なかんずく上客の顔と名前は完璧に憶えているが、といって一般客と分け隔てはしない。権威ある国際コンシェルジュ団体〈金の鍵(レ・クレドール)〉に属し、年間最優秀コンシェルジュとして表彰されたこともある。怠りなくレセプションの業務をこなし、ご用命があれば客室へも出向く。呼びだしたデル・ピンチョ・スイートの客はうるさ型(キッカー)と呼ばれる部類だった。
 廊下の左右につらなる扉は、番号をふられた墓標めいていて、景山は独りで巨大霊園を管理する墓守さながらだった。デル・ピンチョ・スイートに到着して、丸めた指の第二関節でコッコッと硬く、短くノックする。扉が開くのと同時に「お呼びでございますか」とおだやかな声と笑顔を傾ける。笑みはレセプション向けのものを深夜用にアレンジ済み、プロフェッショナルだね。指ぬき(ティンブル)一杯にも満たないさじ加減が、頰笑みを篤実にも慇懃(いんぎん)にも見せることを景山はよくわきまえていた。
「遅いよ」
 出てきた客はバスローブをまとっていたが、リラックスはしていない。村藤(むらふじ)というフリーのジャーナリストで、経済紙や新聞各紙にかけもちで寄稿している。
「この部屋、ゴビ砂漠みたいにカラッカラに乾いてんだけど」
「さようでございますか、事前に加湿器を置かせていただきましたが」
「ええ、それも三台も。だけど三台同時に動かしても利かない」
「さようでございますか、恐縮ですが、きちんと作動しているかどうか点検させていただいてもよろしいですか」
 対応はいたって平静に、気まずげな態度は見せない。嫌悪や不承知の色はもってのほか。どんな無理筋のクレームでも、弔問でお悔やみを言うような瞑想(めいそう)的な表情を崩さない。早くしろというそぶりで村藤はコンシェルジュを室内に通す。景山は頭を下げながら入室して、後ろ手に扉を閉める。ホテル錠(ナイトラッチ)なので、内側から鍵を閉めなくても外側からは開かない。つまり景山にとっては、部外者に仕事を邪魔される心配がない。
 扉の前にはルームサービスの台車がそのまま置いてあった。食事済みの皿、ワインクーラーやグラスが雑然と台に戻されている。村藤は「それからシャワーも、水圧を上げてくれと頼んだはずだけど」と不満を言いながら寝室へと戻っていく。ちなみにスイートルームの価値は、ベッドにたどりつくまでに開けなくてはならない扉の数の多さで決まるとされている。デラ・ピンチョは六つだった。
「爺(じい)さんの小便なみに水の出がゆるゆるだよ。熱い針でめった刺しにされるぐらいの水圧じゃないと、僕は一日を締めくくれない」
「申し訳ございません。水圧の調節には限界がございますので、今が精一杯かと」
「それから窓だよ、窓を開けられるスイートにしてくれと頼んだのに。バルコニーにも出られないし」
「申し訳ございません。こちら九十二階ですので、窓は嵌(は)め殺しでございます」
 加湿器やシャワーを検(あらた)めながらも、景山は客のパーソナルスペースに不用意に入りこみはしない。かと思えば、シャワールームを出るときによろけて足を滑らせた村藤の右腕をすかさず摑み、あわや転倒事故というところで、その体を引き寄せて支えた。

プロフィール

真藤順丈(しんどう・じゅんじょう) 1977年東京都生まれ。2008年『地図男』で、第3回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞しデビュー。同年『庵堂三兄弟の聖職』で第15回日本ホラー小説大賞、『東京ヴァンパイア・ファイナンス』で第15回電撃小説大賞銀賞、『RANK』で第3回ポプラ社小説大賞特別賞をそれぞれ受賞。18年から19年にかけて『宝島』で第9回山田風太郎賞、第160回直木三十五賞、第5回沖縄書店大賞を受賞。著書に『墓頭』『七日じゃ映画は撮れません』『しるしなきもの』『黄昏旅団』『夜の淵をひと廻り』『われらの世紀 真藤順丈作品集』など。