グレート・ナンバーズ
真藤順丈Junjou Shindou
呼びだしボタンを押すころには、意識が早くも朦朧としてきた。まさか、全身にめぐるのが早すぎる。早く来い、エレベーターよ来い。私を塔の上にまで連れていけ─ほどなくして開いた扉の中に駆けこみ、階数表示のボタンを押して扉を閉める。扉の上に表示される数字が地下階から1Fへ、5Fから10Fへ、12Fから17Fと上がっていく。ああ、この偉大なる数字(グレートナンバーズ)。私を高みへと連れていく数字。ところがどういうわけか、途中から階数表示が30から25へ、19から13へ……と下がっていくではないか。これはどういうことだ。途中で下降しはじめるはずはないのに。私はこの世の設計図を見下ろせるほどの高みに昇りつめながら、同時に地の底へと降っているのか─
実際のところ、剱持はエレベーターには乗っていない。乗りこむところで意識を失って倒れている。瞳孔の開いた目の奥で、崇高な塔をどこまでも上っていく最後の夢想を視ようとしていただけだった。そして景山は眠る。塔の上ではない、地べたよりも低い地下で眠りについた。
こうしてタワーホテルの狂騒の一夜は幕を下ろした。姉弟やアッシャーに助けられて脱出の叶ったフレイヤは、実際は産気づいていなかったのでそのまま病院ではなく最寄りの警察へと連行された。景山コンシェルジュの毒殺、企業恐喝と罪状は目白押しだったけど、景山やバロンの行為も明るみに出て、検察特捜部が動きだしたことで風向きも変わってきた。情状酌量の余地あり、ということになったらなによりだね。いずれにしても、予定日をすぎても出てこないお腹の子は、警察の医療施設で産むことになりそうだった。
とはいえ、肝心の子はなかなか出てこない。
フレイヤは、産気づかない。
「ここでおぎゃあ、と出てきてくれたら劇的なのに」
面会に訪れた羽貫姉にフレイヤはぼやいた。新しい友人ができたのは、ほとんど唯一といってよいあの夜の収穫だった。以後のそれぞれの顚末にふれておくと、姉弟:母さんとケイも呼んで家族総出で父を説得し、ついに離婚届にサインさせることに成功! 森:フレイヤとの約束のために給料を貯金中。瓶子:給料を貯金中。貞尾:給料を貯金中。王子:国葬が行われる。飛び道具:行方不明─生き残った者たちは誰もが、あの夜を境に、すくなからず新しい自分が生まれたと感じている。
だったら次は、どこの誰の番?
よっぽどその〈神殿〉のホスピタリティが高いのかね、と羽貫姉は言った。
もしもそうだとしても、そろそろチェックアウトしてくれないと困る。養育費をもらいそびれて稼がなきゃならないんだから。だから出てきて、フレイヤは神殿の奥へと祈る。早く出てきて、光の下へ。
- プロフィール
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真藤順丈(しんどう・じゅんじょう) 1977年東京都生まれ。2008年『地図男』で、第3回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞しデビュー。同年『庵堂三兄弟の聖職』で第15回日本ホラー小説大賞、『東京ヴァンパイア・ファイナンス』で第15回電撃小説大賞銀賞、『RANK』で第3回ポプラ社小説大賞特別賞をそれぞれ受賞。18年から19年にかけて『宝島』で第9回山田風太郎賞、第160回直木三十五賞、第5回沖縄書店大賞を受賞。著書に『墓頭』『七日じゃ映画は撮れません』『しるしなきもの』『黄昏旅団』『夜の淵をひと廻り』『われらの世紀 真藤順丈作品集』など。