サンセールホテル
柚月裕子Yuko Yuduki
三輪の言い分はもっともだ。しかし心の片隅で、不慣れな新米にもう少し優しくしてくれてもいいのではないか、とも思う。
でも、今日は三輪を恐れることはない。堂々と胸につけているタイピン型インカムのプレスボタンを押す。
「三輪さん、秋羽です。客室の清掃すべて終わりました」
お疲れ様、と仕事を労(ねぎら)う言葉が返ってくるものと思っていた広大は、耳にかけている小型イヤホンから聞こえた緊迫した声に身を固くした。
「四〇五号室のお客様からクレームが入った」
部屋番号を聞いた広大の頭に、すぐに客の名前と顔が浮かんだ。水野汐里(みずのしおり)、三十歳。一昨日、チェックインして、一週間の滞在予定だった。
自分が担当する部屋の客の情報は、概(おおむ)ね把握している。だが、水野は特に印象に残っていた。
- プロフィール
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柚月裕子(ゆづき・ゆうこ) 1968年岩手県出身。2008年「臨床真理」で第7回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞しデビュー。13年『検事の本懐』で第15回大藪春彦賞を、16年『孤狼の血』で第69回日本推理作家協会賞を受賞。他の著書に『慈雨』『盤上の向日葵』『暴虎の牙』『月下のサクラ』などがある。