よみもの・連載

おひとりさまごはん

ひとりで鴨南蛮と揚げ饅頭

深緑野分Nowaki Fukamidori

 晩秋の穏やかな日差しがつらい。もっと世界は、私の心情に合わせて悲劇的な演出をするべきだ。豪雨が降ってくるとか、重苦しい曇天に空っ風が吹くとか。だのに今日の空は晴れ渡り、束(つか)の間の晩秋を楽しめる美しい日に変わりなかった。
「あんま面白くなかった」
「共感できなかった」
「入り込めない感じがしてさ、私、途中でやめちゃったし」
 ああ、自分の本への評価をわかっていないわけじゃなかった。編集者さんからは「やめなさい」と止められたけれど、オンライン書店や感想サイトのレビューを読んだり、SNSで感想を漁(あさ)ったりして、いわゆるエゴサーチを何度もしてしまったから、賛否が割れているのは知っていた。
 私が新人賞を受賞した短篇は、「人魚の浜」という物語だった。ある港町では一年か二年に一度、人魚が打ち上げられる。人魚はすぐに海へ戻り、人々の前から消えてしまうのだが、その日だけは、人も生き物も死なないのだ。しかしそこに、どうしてもその日のうちに海辺で死ななければならないと思い詰める青年が現れる。彼はなぜ死のうとしているのか、なぜその日を選んだのかという話だった。なぜ≠フ物語ではあるが、ミステリではなく、人が死なない日がやがて終わってしまう切なさを描いた文芸作品のつもりだったので、文芸の賞に応募し、受賞した。
 選考委員からは、「この物語世界で一日中降り続ける雨と同じく、寂しく繊細で、痛切なストーリーだ」と評価された。編集者さんも「好評だった」と言ってくれる。でも読者のなかには、「なぜ≠フところに面白みがない」「最後に再び現れる人魚の意義がわからない」「主人公に共感できない」などの感想を投稿する人も多くいた。
 しかし、目の前で言われてしまうのは、さすがに堪(こた)える。
 気がつくと私は街の中心部から離れ、大きな川にかかる橋の上にいて、どんよりと濁った暗い流れを眺めていた。呻(うめ)き声と共に思い切り深くため息をつき、橋にもたれかかったので、近くにいた人は困惑したのかどこかへ行ってしまった。私はメガネを外し、濡れていた目尻をそっと拭うと、再びかけなおした。
 そばには古い煉瓦(れんが)造りの高架下を改装したおしゃれなお店があるが、ショッピングを楽しむ気分でもない。かといって、この憂鬱を引きずったまま家に帰っては、やりきれない気がした。新作のプロットを考えなければならないのだから、どうにか気分転換せねば。
 うろうろと周辺を歩き回る。橋を下り、高架線の下をくぐって横断歩道を渡った。銀杏(いちょう)並木の脇を通っていく。
 こんな時でもお腹は空(す)くもので、自然と目が飲食店に向く。人々があちこちの店に吸い込まれ、食事を楽しんでいる様子が窓越しに見えた。久々に外食してもいいだろうか。お弁当も持ってきていないし、どこか良さそうなところがあれば入ってもいいかもしれない。
 私はどんどん、賑(にぎ)やかな駅周辺とは反対方向に歩いた。先ほどの川が境界になって、ここから先は静かな隣町となる。
 昭和の時代に建てられたのだろう古いビルの隙間に、瓦屋根の家屋がぽつぽつと建っている。けれどその風采は細々というよりも、誇り高く感じられるものばかりだった。たいていは老舗(しにせ)の小料理屋や鍋物の店で、看板には旧字体の漢字が書かれており、重そうな木の引き戸に掲げられた暖簾(のれん)は、ぱりっと白く洗濯されている。

プロフィール

深緑野分(ふかみどり のわき) 1983年神奈川県生まれ。2010年「オーブランの少女」が第7回ミステリーズ!新人賞で佳作に入選。
13年に同作を含む短編集『オーブランの少女』でデビュー。
他の著書に『戦場のコックたち』『分かれ道ノストラダムス』『ベルリンは晴れているか』『この本を盗む者は』がある。

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