第三章 出師挫折(すいしざせつ)9
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「何だ、まだ心配事があるのか?」
「こたび、われらの味方となりました諏訪の者たちについて申し上げたきことが……」
「かまわぬ。続けてくれ」
「はい。かの者たちの与力は確かに渡りに舟の好都合でありましたが、今後は少し注意が必要かと。上社、下社、上伊那(かみいな)の者たちに共通していたのは頼重殿に多大な不満を抱いていたことだけであり、それぞれの事情はまったく違い、当家の傘下に留まるかどうかも不明にござりまする。当家が諏訪を完全に統治するためにも、まだまだ注視が重要と考え、できれば将兵の駐屯が必須かと」
「将兵の駐屯か。負担が大きくなるな」
「確かに、出費はかさみますが、当家の足場として固めるならば致し方ありませぬ。今のところ上社、下社、上伊那の者たちは、ただ勝手に己の利を求めて参じたと見るべき。頼重殿の後釜を狙う者、諏訪大社の実権を握りたい者、ただ旧領へ返り咲きたい者。様々な理由があるにせよ、当家にとっては身勝手な願望に過ぎませぬ。それを野放しにしては、諏訪の統治が立ち行きませぬゆえ、ここからさらに、それぞれの忠誠を確かめ、真の味方かどうか、色分けをする必要があるのではないかと」
「なるほど。そういう意味であるか」
「幸いにも、諏訪惣領(そうりょう)家のお世継ぎは当家におられ、諏訪を統治する大義も名分も何ら不足がござりませぬ。筋目としても、於禰々(おねね)様の御子が元服なさるまで当家が諏訪を守るべきと存じまする」
「そなたの意見はわかった。誰が諏訪に残るか、評定で決めよう」
晴信は頷(うなず)きながら言った。
「ならば、若。それがしが残りまする」
隣にいた信方(のぶかた)が申し出る。
「板垣(いたがき)、そなたが?」
「ええ、しばらくは上社、下社を中心に諏訪の者たちをまとめ、小笠原あたりが余計な手出しをせぬよう、睨(にら)みを利かせておきまする」
「されど、今後の方針を固めるための補佐は……」
晴信が不安そうな表情になる。
「若の補佐は、昌俊、そなたに任せる。甘利(あまり)、鬼美濃(おにみの)と共に後の事を頼む」
信方がそれとなく目配せをした。
「それは構わぬが……。御屋形様、よろしゅうござりまするか?」
原昌俊が訊く。
「二人が納得しているのならば、異論はない」
「御意!」
信方と原昌俊が同時に頭を下げた。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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