よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)13

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 信方は晴信に状況を報告してから、原(はら)昌俊と面会して対応策を練る。
「喫緊の出兵で、どのぐらいの数を出せそうか、昌俊」
「この状況ならば、移動の疾(はや)い騎馬が良かろう。それだと、一千……いや、無理をすれば一千五百というところか」
「高遠頼継(よりつぐ)が動いてくるとすれば、なかなか厳しい数ではあるな」
「そなたはこの叛乱(はんらん)の主謀者を高遠と見ているのか?」
 昌俊は険しい表情になる。
「それ以外、考えられぬ。矢嶋満清の如(ごと)き小鼠(こねずみ)が藤澤頼親の与力だけで動くはずがあるまい。背後に上伊那衆がいると考えて備えるべきだ。ことによると……」
「小笠原(おがさわら)か?」
「そこまで考慮に入れておかねばなるまい」
「小笠原の仕掛けだとすると、かなり厄介だな。されど、高遠は自らの口で小笠原との和睦に反対したと申していなかったか?」
「そうだったとしても、これほど簡単に約定を破り、叛旗を翻す裏切者なのだ。手のひらを返して小笠原と結んだとしても不思議ではあるまい。高遠のことを頭から信じていたわけではないが、これで本性が明らかになった。あの者は決して許さぬ」
「さようか。それを聞いて安心した。どのみち、さほど簡単に諏訪に関わる者すべてが従うとは思うていなかった。この際、上伊那から高遠と藤澤を排除し、諏訪と合わせて当家が直轄すべきだな。今ならば、その戦(いくさ)に耐えうる兵粮(ひょうろう)もある」
「まことか、昌俊」
「ああ、小笠原から奪った兵粮は、前(さき)の戦でもほとんど使っておらぬし、新たに諏訪から召し上げた物もあるからな。中途半端に高遠の撃退などと考えず、上伊那を制覇し、後顧の憂いを断つべきだ。さすれば、自ずと諏訪も安定し、われらは北にだけ眼を向ければよくなる」
「確かにな」
「正直なところ、うんざりしている。これ以上、諏訪に振り回されるのはごめんだ。この機会を利用し、当家に逆らう者を一掃してしまおう。そなたが出立した後、すぐに軍を編制し、この身も諏訪へ向かう」
「昌俊……」
 信方は少し驚きながら同輩を見る。
 このところの昌俊は信じ難いほど強硬に前へ進もうとしており、その横顔には強い決意が秘められていた。
 そこに今までにはなかった違和を感じていた。
 ――こ奴、なにか生き急いでいるのではないか?
 そんな一抹の不安までが胸の裡(うち)をよぎる。
 しかし、気を取り直し、信方が言う。
「では、とりあえず千五百の兵を率いて諏訪へ戻る。副将として飯富(おぶ)を連れて行ってもよいか?」
「構わぬよ」
「では、まず矢嶋満清を叩き潰しておくゆえ、その間に若と出陣の支度について協議してくれぬか」
「承知した。鬼美濃(おにみの)がすぐ出陣できるよう手配しておく。高遠の出兵に備えてな。ところで、信憲はどうするつもりだ?」
「わが軍勢には加えられぬので、鬼美濃か、そなたの軍勢に加えてくれぬか」
「わかった。それがしが面倒をみよう」
 原昌俊が約束した。
「とにかく、出立の支度を急ぐ。後のことは、よろしく頼む」
 同輩の肩を叩き、信方が言った。 

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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