よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)13

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 さらに翌日、跡部(あとべ)信秋(のぶあき)からも一報が届けられる。「高遠頼継が兵を率い、自城から諏訪へ向かった模様」というものだった。
 ――やはり、予想通りであった。まずは一刻も早く上原城へ戻らねばならぬ。
 そう思いながら、信方は出陣の許可をもらいに行く。
 話を聞いた晴信は顔をしかめながら嘆いた。
「またしても裏切りか……」
 それから険しい表情になる。
「高遠頼継は己が諏訪を簒奪(さんだつ)するために、われらを利用したということなのだな」
「はい、残念ながら。諏訪の庶流である高遠は当家をたばかり、頼重(よりしげ)殿を排除した後に自らが惣領(そうりょう)に成り上がろうと画策していたのでありましょう」
「ならば、もはや諏訪宗家の縁者は信用できぬ。板垣、余も出張るゆえ、それまで持ち堪(こた)えてくれ」
「されど、若。こたびはわざわざ御出陣なされずとも……」
「いや、寅王丸を擁して諏訪へ乗り込むつもりだ」
「寅王丸様を!?」
 信方は驚きを隠せない。
「さようだ。上伊那衆の成敗に合わせ、寅王丸が諏訪一門の惣領となることを宣言し、元服するまでは余が後盾となることを明らかにする。それを認められぬ者は、すべて諏訪から追放いたす。禰々と話をした後、すぐに寅王丸を連れて諏訪へ向かうゆえ、前捌(まえさば)きを頼む」
「若、今の禰々様にとっては、少し性急すぎる話なのでは?」
 その危惧に対し、晴信は決然と言い放つ。
「いや、寅王丸が諏訪の惣領となる命運の下にあることを、禰々にはわかっておいてもらわねばならぬ。ならば、早く伝えた方がよいし、こたびはその機会と考える。当家がどれほど寅王丸を大事に思うているかを丁寧に説明いたせば、禰々も安心するはずだ」
 主君の言葉に、信方は揺るぎない覚悟を感じ取った。
「若がそこまで仰せならば、その件はお任せいたしまする。ただし、寅王丸様もまだ幼いゆえ、あまり無理をなさらぬように」
「うむ、わかった。そなたも気をつけよ」
「有り難き御言葉。では、行ってまいりまする」
 信方は急ぎ出立に向けて動き出す。
 待機していた飯富虎昌(とらまさ)と合流し、救援の策を指示する。
「まずは新府から一気駆けで上原城を目指す。そのまま勢いを止めず、昌頼が対峙している矢嶋満清の軍勢に攻めかかるぞ。高遠頼継も自城から諏訪へ向かったという一報が届いているゆえ、こたびは矢嶋を蹴散らす疾さが勝負の鍵となる。絶対に高遠を宮川(みやがわ)の東側には入れぬ」
「われら騎馬隊が鋒矢(ほうし)となり、矢嶋の軍勢を貫きまする」
「こたびの御屋形様は本気だ。寅王丸様を旗頭として当家で諏訪を統一なされるおつもりだ。そのために邪魔になる者は、すべて排除して良しと仰せになっておられる。われらもその覚悟を持って戦いに臨まねばならぬ」
「承知いたしました」
 飯富虎昌は引き締まった顔で答える。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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