第三章 出師挫折(すいしざせつ)13
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
しばらくしてから、薬師を伴って戻ってきた。
「長くは無理かもしれませぬが、薬師立会いのもとに話を聞きなさいと言い含めてきました」
「母上、有り難うござりまする」
「晴信、もしも、あの娘が拗(す)ねた態度を取ったとしても、患いのせいと思い、どうか許してやってくれませぬか」
大井の方の言葉から、妹の状態を感じ取る。
――おそらく、禰々はこの身に会いたくないとぐずったのであろう……。
「母上、ご心配なく。禰々には、話をわかりやすく嚙み砕いて聞かせますゆえ」
晴信は笑顔を見せながら言う。
それから薬師と一緒に奥の寝屋へ向かった。
禰々の枕元へ腰を下ろすが、妹は掛け布団を被り、背を向けたままだった。
「晴信だ。見舞いにきたぞ、禰々。具合は、どうだ?」
優しい口調で訊ねるが、妹の答えはない。
「……辛ければ、そのままでいいから聞いてくれ。実は、寅王丸のことなのだ」
晴信は幼い甥子(おいご)のことについて切々と語りかける。
禰々は背中を向けたままだったが、話はしっかりと聞いているようだ。
家臣たちの忠誠心を伝え、いかに皆が寅王丸を大切に思っているかも詳しく話す。ただし、諏訪で起こっている騒擾(そうじょう)については、まだ秘匿しておいた。
これ以上、妹に気患いをさせないようにしようと考えたからである。
「近々、寅王丸が新しき惣領となることを諏訪の者たちに御披露目することになった。当家が後盾となり、守(も)り立てていくゆえ、そなたは余計な心配をせずに養生するがよい。寅王丸だけでなく、そなたは当家にとっても諏訪にとっても、大切な存在だからな」
晴信の言葉に、禰々の背中が微(かす)かに反応した。
しばらくの沈黙があった後、妹がかぼそい声を発する。
「……兄上」
「何であるか」
「……頼重様は……どこにおられまするか?」
予想外の問いに、思わず晴信は身を固くした。
「頼重殿は……頼重殿は前の争乱の責を取り、蟄居(ちっきょ)している」
「……牢獄に入れられたのでしょうか?」
「いや、牢獄ではない。さる場所で謹慎している」
「……まことに……生きておられるのでありましょうか?」
そう言われ、晴信は動揺しながら答える。
「なにゆえ、そのようなことを申す」
「……兄上のお話は……まるで、もう頼重様がおられぬかのように聞こえました」
禰々の言葉に、晴信は絶句した。
確かに、妹の言う通りだった。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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