よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)16

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

    四十 (承前)

 ――板垣(いたがき)が出張ったことで眼が西だけにいきがちだが、後詰(ごづめ)のある大屋は大丈夫であろうか?
 晴信(はるのぶ)がそんなことを考えている中、真田(さなだ)幸綱(ゆきつな)が諏訪(すわ)から荷駄隊を率いて大屋神社に戻ってきた。
 待っていた青木(あおき)信立(のぶたて)が渋面(しぶづら)で伝える。
「ご苦労であった。されど、そなたが留守にしている間、不測の事態が起こってしまった」
 小荷駄隊襲撃の件を聞き、真田幸綱が顔をしかめる。
「敵の奇襲がそこまで……」
「奪われた兵粮(ひょうろう)や薪(たきぎ)などはさほど多くなかったが、本陣のすぐ東側で敵の奇襲があったことに少なからず動揺が走った。それを含め、御屋形(おやかた)様が各隊に出撃を御下知なさり、各大将の判断で戦いが許されることになった」
「青木殿、どなたがどこへ出張ったかはご存じであろうか?」
「使番(つかいばん)の報告で子細を存じておる」
「お聞かせ願えませぬか」
「よかろう」
 青木信立は各大将が小県(ちいさがた)のどこへ出張っているかを詳しく話し始めた。
 それを聞き終えた真田幸綱が確認する。
「先陣が出張った場所は、西側の天白山(てんぱくさん)で間違いありませぬか?」
「間違いない。駿河守(するがのかみ)殿が自ら隊を率いて千曲川(ちくまがわ)を渡り、天白山の麓にある村上(むらかみ)の野戦陣を攻めるそうだ」
「天白山とは、須々貴(すすき)城のある山だと?」
「さようだ。その麓に千曲川支流の浦野川(うらのがわ)と産川(さんがわ)が分岐する場所があり、そこに村上方が陣を布(し)いているらしい。その野戦陣は山側の神社や須々貴城、さらにその上にある小泉(こいずみ)城とやらに繋(つな)がっていると聞いた。しかも天白山の裏側を抜ければ、村上の本城がある坂木(さかき)へと繋がっているそうではないか」
「確かに……」
 眉をひそめた幸綱がしばし思案する。 
 ――須々貴城や小泉城がある天白山は確かに地の者しか知らぬ要衝ではある。されど、西側にはもっと大事な場所がある……。
「青木殿、駿河守殿は連珠(れんじゅ)砦のことは何か申されておりませなんだか?」
「連珠砦?……それはどこのことだ。初耳だが」
「駿河守殿は尼ヶ淵(あまがふち)砦を制したと聞きましたが、その西側に太郎山(たろうやま)の連峰が張り出しておりまする。その山一帯に二十余もの城や砦が散在しており、山裾の神社などと連係して数珠つなぎになった城砦陣を形作り、もしも村上が使うのならば、そこかと思いましたが」

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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