「ははぁ、図星か。そなたの口がへの字に曲がっておる。矢が当たった証左だ」 「……そうだとしたら、何とする?」 「事ここに至り、わざわざ波風を立てることもあるまい。無事に撤退し、立派に殿軍を務めるということだけで、若君の御初陣は賞賛に値するのではないか」 「それはわかっている。誘ったとて、敵が城から出てくるとも限らぬしな。……されど、何かあった時のために、少しだけ歩みを遅くして欲しいだけだ」 「もしも、戦いがあったならば、われらが殿軍の後詰にしようというわけか。わかったよ。されど、無茶はするなよ、信方」 「心得ている。若が一緒だからな」 「では、われらも退陣を開始いたす。そのように若君へお伝えしてくれ。武運を祈る」 原昌俊の言葉に、信方は深く頷いた。 こうして陣馬奉行の隊も南牧(みなみまき)の陣を引き払い、晴信の殿軍だけが残ることになった。 相変わらず、雪は止む気配を見せない。気温はどんどん下がり、骨身にしみるほどの寒さとなっていた。 そんな中、殿軍の中から密かに一隊が動き始める。原虎胤の率いる百余の先鋒(せんぽう)が、跡部信秋に先導されて隠し路(みち)へと向かった。 海ノ口城は佐久往還の東側に位置し、尾根伝いに三段の梯郭(ていかく)をなしている。三の曲輪(くるわ)の南西側に追手門(おうてもん)があり、ここまでは追手道の急坂が続いていた。通常の城攻めならば、寄手はこの坂を登っていかなければならない。 しかし、跡部信秋が創った隠し路は、南牧の里から東の山裾へ分け入った処を起点としている。ちょうど二の曲輪と三の曲輪の中間にある水の手、その真南の麓に起点が位置していた。 つまり、隠し路のから海ノ口城を目指す場合、山の急斜面に入り、鬱蒼とした木立の中を真北に向かって登攀していくことになる。 木立と木立の間には道筋を示す綱が張られ、それに従って登っていけば、三の曲輪と二の曲輪の間にある水の手に到達する。そこならば、兵が溜まれる余地があり、すぐ西側にある追手門へ廻り込むことができた。 しかし、文字通り、足場はほとんど路とも言えないほどの獣道(けものみち)であり、折からの積雪で登攀は困難を極めた。 跡部信秋が放った伝令は後方にそのことを伝える。そして、原虎胤に続いて諸角虎定、横田高松の隊が出立し、いよいよ信方と晴信の隊も登攀を開始する。その後ろに寄手の最後尾である多田満頼の隊が張り付き、さらに小畠虎盛の率いる三百が麓で待機していた。 登攀を始めて間もなく、晴信は城攻めの寄手に加わったことを後悔し始める。 ――なんという足場の悪さだ。降り積もった雪に足を取られ、この傾斜ではまともに進めぬ。もしも、この命綱がなければ、一歩たりとも先へ進めなかったかもしれぬ……。 命綱を摑む左手もすぐにかじかみ始め、感触が希薄になっていく。 足許も防寒のために革足袋(かわたび)を重ねて履き、その上から毛氈(もうせん)でくるみ、毛沓を履いているはずなのに、冷えのせいで爪先の感覚も失われていた。 すぐに疲れで軆(からだ)の動きが鈍ってくるが、立ち止まるわけにはいかない。一列の縦隊で登攀を行っているので、晴信が止まれば後続の者たちも動けなくなり、取り返しのつかない遅延が生じる。一歩ずつでも、とにかく前へ進まねばならなかった。