「自害……させてやってはどうか」 晴信は重い口を開く。 「承知いたしました」 無理やり己を納得させ、信方は頷く。それから、鎧通(よろいどお)しを抜き、平賀玄心の縄を切ってやる。 「……口のへらぬ奴めが」 信方は相手の耳元で呟く。 右手に握った鎧通しを平賀玄心の眼前に投げる。 乾いた音を立て、短刀が床に突き刺さった。 手首についた縄の跡をさすりながら玄心は晴信を見上げる。 「かたじけなし」 そう言ってから、帷子を肌脱ぎにし、正座した。 しばらく、眼前の鎧通しを見つめてから、それを床から引き抜いた。 「……どなたか白布を貸していただけぬか」 玄心の言葉に、信方が胸板の奥から白布を取り出そうとする。 その刹那だった。 「うおりゃあぁ」 両手で鎧通しを握った平賀玄心が素早く立ち上がり、晴信めがけて突進する。 その動きを予測していたように、原虎胤が槍の石突きで平賀玄心の脛(すね)を払う。 「ぐわぁ!」 したたかに脛を叩かれた玄心は床に転がる。 「慮外者(りょがいもの)めが!」 その叫びと同時に、原虎胤は返した槍先で玄心の喉を床に串刺しにした。 濁った眼で虚空を睨み、平賀玄心は一撃で息絶えている。 晴信の前には信方と教来石信房が同時に飛び出していた。 「やはり、口先だけの卑怯者か」 信方が吐き捨てる。 「首級(しるし)にして持ち帰るぞ! これで、この戦は終わった。若、鬨を」 「……あ、ああ」 眼前の出来事に、晴信は放心していた。 それから、気を取り直して槍を握った右手を突き上げる。 「皆、勝鬨を上げよ!」 「おおっ!」 家臣たちもそれに呼応し、主郭に鯨波(げいは)が広がる。やがて、それが海ノ口(うんのくち)城全体を揺らす。 こうして乾坤一擲(けんこんいってき)の奇襲は成功した。