「伊賀守、前を行く昌俊(まさとし)に、速歩(はやあし)の伝令を出してくれぬか」 「承知いたしました。何と、お伝えいたしまするか」 跡部信秋は薄く笑いながら訊く。 「ありのままを伝えるしかあるまい。その上で、御屋形(おやかた)様に早馬を出すよう昌俊に頼んでくれぬか」 「わかりました。それがしが直々にまいりましょう。おそらく、それが最も早いゆえ」 「おお、さようか。ならば、頼む」 信方は跡部信秋の肩を叩く。 それから、思い詰めたような面持ちの晴信に近づく。 「若、大丈夫にござりまするか」 「ああ、大丈夫だ。緊張が解け、少しぼうっとしていただけだ」 「さきほどのことならば、お気になされまするな」 「……いや、己の甘さを思い知った。家臣の皆は、あのようになることがわかっていたのであろう」 「若、不躾(ぶしつけ)を承知で、ひとつだけ申し上げてもよろしかろうか」 「構わぬ。何であろうか」 「己の生死がかかった戦場(いくさば)で、潔く振る舞える者など、そうそうはおりませぬ。もちろん、おらぬとは申しませぬが、ほとんど誰もが生き残ろうと姑息に足搔くもの。嘘をつき、相手をごまかし、隙あらば情けを仇(あだ)で返そうといたしまする。それもまた戦場の実相、綺麗事では済みませぬ。この身が平賀であったとしても、同じことをしたやもしれませぬ」 「……思い知った」 「若、過ぎる情けが、仇になることもありまする。時には非情も必要にござりまする」 「それを初陣の教訓としておくよ」 「有り難き御言葉にござりまする。では、諸角殿と鬼美濃に城を任せ、われらは南牧(みなみまき)の陣へ戻り、御屋形様からの連絡を待ちましょう」 「そうしよう」 晴信はやっと笑顔で頷いた。 二人は本隊を率いて追手道から南牧の陣へ戻った。 その頃、跡部信秋は原昌俊の隊に追いつき、海ノ口城を落としたことを伝える。 ――信方の奴め、やはり、やりおったか。されど、追手の迎撃ではなく、敵城の奇襲とはな……。 そう思いながら、苦笑いする。 「伊賀守、ご苦労であった。子細はこちらから早馬で御屋形様へお伝えしておく。そなたらは、しばし南牧と海ノ口城で待機していてくれぬか」 「承知いたしました」 「おい、若神子(わかみこ)へ早馬を出せ」 原昌俊は家臣に命じた。 すぐに伝令の早馬が出立し、若神子城で宿営している信虎のもとへ朗報が届けられた。