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連載
「新 戦国太平記 信玄」
第二章 敢為果断(かんいかだん)4 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「……ならば……ならば、板垣。そなたも藤乃殿の尻に敷かれているということではないか」
「えっ!?」
 思わぬ反撃に、信方もたじろぐ。
「どうなのか?」
「……はて、さて」
「はっきりと答えよ」
「まあ……」
 信方はそっぽを向いて空咳をする。
「……尻に敷かれておらぬと申せば、嘘になりまする」
「ならば、この身と同じく相手の策に嵌まっているのではないか」
「いえいえ、それがしの場合は、若とは違いまする。こちらが策を仕掛けておりますゆえ。あえて尻に敷かれてみせるという妙策。まあ、戦でもあるまいし、女房との喧嘩など漢(おとこ)の七勝八敗ぐらいが丁度よいのでござりまする」
 信方が摩訶(まか)不思議な蘊蓄(うんちく)を述べてごまかす。
「何だ、それは。どういう意味であろうか」
「喧嘩になったならば、まずは三つ負けてやる。その後は、有無を言わさず四連勝。相手もむきになって勝ちにきますので、さらに四つほど負けてやった上で、有無を言わさず三連勝。これで勝ち星は七つずつの五分。最後は『わかった、わかった』と言いながら、わざとひとつ負けてやれば、角張った喧嘩も丸く収まりまする。いわば。漢の度量の見せ所。それがあえて尻に敷かれてみせる七勝八敗の極意というもの」
 その説明を聞いても、晴信は狐につままれたような面持ちで小首を傾げる。
「……わかったようで、さっぱりわからぬな」
「まあ、若にはまだ実感が湧きますまい。ひとしきり夫婦喧嘩などを経験してから、今の言葉を想い出しくだされ。さすれば、よぉく意味がわかりまする」
 信方は勝ち誇ったような顔で笑う。
「偉そうに……」
 晴信は眉をひそめて呟く。
「……ともあれ、少し安心した。都から来る女子だからといって無用に物怖じしたりせずに正面から向かい合うべきだと感じた。見知らぬ土地へやって来る慶子殿こそ、怖くて仕方ないに違いあるまい。それをほぐして差し上げることを考えねばならぬ。それがこの身の役目であろう」
「ほう、さように前向きな心持ちになられたとは、まことに良うござりました。この板垣めも、少し安心いたしました」
「世辞など申しても、接遇の役目は解かぬがな……」
 そう言ってから、晴信は照れくさそうにそっぽを向く。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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