「加賀守殿、有り難うござりました」 飯富虎昌は原昌俊に深々と頭を下げる。 「礼ならば、信方に言え。この策を案じたのは、あ奴だ」 「はい、わかりました」 「それなりの戦(いくさ)働きを期待しておるぞ、兵部(ひょうぶ)」 原昌俊は後輩の背中を叩き、気合を入れた。 翌日、信方は若神子を出立し、一路、海尻城へ向かう。飯富虎昌に本隊を預け、敵城を囲んだ。 しかし、武田勢の進軍を知った海尻城代は、城門を固く閉ざし、攻め手を寄せ付けない。 しばらく敵城の様子を探っていたが、固い籠城にこれといった攻め手も見つからず、飯富虎昌は夜更け過ぎに包囲を緩めて後退を始めた。 その気配を察した城方が態勢を整え、追撃する機を窺(うかが)う。武田勢の殿軍が海尻城から離れようと動き始めた時、城門を開いて城方の兵が追おうとした。 ――よし、かかった! 伏兵の別働隊を率いていた信方は、すぐに采配を振る。 「行くぞ! 敵の追撃隊の横腹を突き、そのまま城内へなだれ込め!」 本隊と見える軍勢が退却すると見せかけ、敵の城兵を油断させ、別働隊が一気に攻め入る奇襲。それこそが信方の狙った城攻めの策だった。 信方の別働隊が敵の追撃隊を蹴散らし、城門を潜った頃、飯富虎昌の率いる本隊も素早く反転し、海尻城へ攻めかける。これに驚いた敵方は算を乱し、まとまった迎撃ができなくなり、城はあっという間に落ちた。 「やりましたな、駿河守殿」 飯富虎昌が嬉しそうに駆け寄ってくる。 「やはり、腹の据わりがよいと兵の動きが違うな」 信方もにやりと笑う。 「この城が片付けば、われらの眼前に遮るものはありませぬ」 「おお、この勢いを止めず、一気呵成(いっきかせい)に佐久を平らげるぞ」 この言葉通り、信方は海尻城を起点にして翌日から佐久へと出張る。 勢いに乗った武田勢は怒濤(どとう)の進撃を続け、なんと三十六もの城や砦(とりで)を陥落させながら平賀の残党を駆逐した。 その朗報はすぐに甲斐へ届けられ、新府は歓喜に包まれた。 同じように海尻城陥落の報が村上義清に伝えられ、すぐに城を奪回すべく新手の兵を差し向ける。 しかし、海尻城を任された小山田昌辰(まさたつ)と昌行(まさゆき)、長坂(ながさか)国清(くにきよ)と虎房(とらふさ)らの親子が村上勢の城攻めを凌(しの)ぎ、急の知らせを受けた飯富虎昌の援護により敵の新手を撃退する。 こうして信方と飯富虎昌の奮闘により、武田家は佐久往還と東山道(とうさんどう)が合流する平賀城までを電光石火で制覇した。 だが、信方が晴信に次々と朗報を届ける中、新府では異変が起きていた。 家宰(かさい)の荻原(おぎわら)昌勝(まさかつ)が体調を崩し、ついに病いの床に臥(ふ)してしまったのである。どうやら、引退は免れないほどの重篤のようだった この事により、再び重臣たちが騒然となる。そこかしこで奉行衆の寄合が行われ、密かに家宰の座を巡る暗闘が始まった。