第三章 出師挫折(すいしざせつ)24
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
晴信はまず北条家から和睦仲介の申し入れがあったことを義元に伝え、調停を任せてほしいと願った。
義元は快諾し、晴信は氏康に書状を返す。
『和睦の仲介を行う気はあるが、これまでの事情を鑑みると厳しい条件にならざるを得ないと考えるが、それでもよければ迅速に話を進めたい。調停に関しては、今川、北条の双方から一任してもらう』
そのような内容だった。
氏康からの返事は、すぐに届く。
『迅速に話が進むのは、有り難い。北条家としては晴信殿を信頼して調停をお任せするので、何とか長久保城の者たちが無事に戻れるようお願いしたい。当方の担当は、そちらとも面識のある桑原(くわはら)盛正(もりまさ)とするゆえ、必要があれば、すぐに長久保城へ向かわせる』
もはや無条件で和睦に従うというような姿勢だった。
それを受け、晴信は北条家との折衝役を信方と駒井(こまい)政武(まさたけ)に命じる。自ら三ヵ条の誓約を作り、それを義元に打診して承諾を得た。
その三ヵ条とは『河東での紛争には、北条家に非がある。今後、河東を返還し、今川家とは長久保を国境として停戦和睦する。もしも、この和睦が破棄された場合、武田家は今川家に味方して出兵するが、停戦が守られるならば、北条家とはこれまでのように和睦を続ける』というものだった。
晴信の直筆で花押(かおう)が入れられた書状は氏康に届けられ、やはり、すぐに返事が届いた。
『桑原盛正を長久保城へ向かわせるゆえ、是非、そこで和睦の調印をお願いしたい』
北条氏康もまた即断してきたのである。
それを意気に感じた晴信は、やり取りの詳細を義元に伝え、粛々と和睦の調停を進める。 十月十五日には信方と駒井政武が誓書を持って桑原盛正が入った長久保城へ向かう。そこで連判状が作られ、北条家と今川家の和睦は急速に進み始めた。
もちろん、こうした経緯はすべて義元から古河公方の足利晴氏と関東管領の山内上杉憲政に連絡されているはずだった。
晴信の仲介内容に対する坂東勢からの異議はまったくなく、そのまま締結へと向かう。
十月の末に河東の争乱は終結し、月が変わってから晴信と義元は手勢を率いて長久保城へ入った。
撤退する北条勢の無事を保証し、城を受け取るためである。
城に籠もっていた北条方の将兵たちが無言で退出し、最後に初老の武将が近寄ってくる。
「北条駿河守、長綱と申しまする。今川治部大輔(じぶのたゆう)殿におかれましては、こたびのこと、まことに御寛大なる沙汰をいただき、主君に成り代わりまして心より御礼申し上げまする」
北条長綱が義元に深々と頭を下げる。
本心はどうあれ、礼を尽くした口上だった。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。