よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)18

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「……たばかったな」
「今頃気づいても遅いわ。どけ! 止(とど)めだ!」
 雨宮正利が鎧通しを手に走り出す。
 三人の修験僧が一斉に刃を引き抜き、相手から離れる。
「ぐあっ」
 苦悶の声を発しながらよろけた信方の横腹に、雨宮正利が鎧通しを突き刺す。
「ぐっ」
 夥(おびただ)しい血を振りまきながら、信方は前のめりに倒れる。
 口からもどろりとした血の塊を吐き、小刻みに軆を痙攣(けいれん)させていたが、すぐにそれも止まった。
「武田の先陣大将、板垣駿河守(いたがきするがのかみ)を、この雨宮が討ち取ったぞ」
 血塗(ちまみ)れになった屍(しかばね)を見下ろし、雨宮正利が勝ち誇ったように笑う。
「こ奴の首級を取り、さっさとここを出るぞ。惣八(そうはち)、法螺(ほら)を用意しておけ。本隊に知らせる」
 修験僧に化けた手下の一人、八木(やぎ)惣八に命じる。
「承知しました」
「首袋を」
 雨宮正利は屍に近づき、髷(もとどり)を摑(つか)もうとして屈(かが)む。
 その刹那だった。
 屍だと思っていた信方の軆が寝返りをうつ。それと同時に、素早く腰刀を抜き、雨宮正利の喉仏に突き入れる。
 まさに最後の力を振り絞った渾身(こんしん)の一撃だった。
「……ぎょ、刑部(ぎょうぶ)殿」
 八木惣八が後退(あとずさ)りしながら呼びかける。
 腰刀の切先が首の後ろにある盆の窪(くぼ)から飛び出しており、雨宮正利は眼を見開き、声も出せずに絶命していた。
「おのれ!」
 八木惣八が護摩刀(ごまとう)を抜いて躙(にじ)り寄ろうとする。
 だが、信方も必殺の一撃を放った後、事切れていた。
 まさに、武士(もののふ)としての意地、一命を賭した恐るべき刺し違えである。見開かれた信方の両眼には無念だけが宿り、冬晴れした空を映していた。
 用心のため八木惣八は信方の軆に刀を突き刺す。その反動で二つの屍が地面に転がった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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