第四章 万死一生(ばんしいっしょう)18
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「騎馬の者は観音寺へ向かえ! 徒歩(かち)の者は産川(さんがわ)を渡り、川縁で備えよ! 急げ!」
横田高松が叫んだ刹那、北側から地を揺るがすような蹄音(あしおと)が響いてくる。
視界に飛び込んできたのは、己の眼を疑うような騎馬の大軍だった。
――いったい、どこから現れた!?……に、二千はいるのではないか。
この時、高松にはわかっていなかったが、北から現れた軍勢は村上本隊の先陣だった。
半過岩鼻(はんがいわばな)の下に潜み、仕物成功の合図を待っていた二千の兵が一気に動き出したのである。
西から響く鬨(とき)の声も、すぐ近くに迫っていた。こちらは弓立神社に隠れていた五百ほどの足軽隊だった。
合わせて二千五百ほどの軍勢だったが、横田高松にはそれよりも遥かに多勢と見えていた。
「川縁の備えはいらぬ! とにかく皆で観音寺へ向かえ!」
咄嗟に危機を察知し、命令を修正する。
「行村(ゆきむら)!」
横田高松は使番(つかいばん)の小山田(おやまだ)行村を呼ぶ。
「はっ!」
「中之条(なかのじょう)にいる備前殿のもとへ走り、北から敵の本隊が動いてきたと伝えよ。数は三千近くだ。われらは観音寺に入るゆえ、援護をお願いしてくれ」
「畏(かしこ)まりました!」
小山田行村は素早く踵を返し、愛駒の背に飛び乗る。
駈歩(かけあし)で走り出し、激しく手綱をしごき、すぐに最速の襲歩(しゅうほ)に移った。
しかし、使番の到着を待つまでもなく、中之条にいた甘利(あまり)虎泰(とらやす)と初鹿野(はじかの)高利(たかとし)は異変に気づいていた。
「伝右衛門(でんえもん)、あの陣鐘や太鼓は、味方のものではないな」
「それがしもさように思いまする。駿河守殿は首実検を行うとのことでしたが、敵に不意を衝(つ)かれたのであれば危ない」
「敵の野戦陣そのものが餌兵(じへい)ということか。それがしはすぐに騎馬隊を率いて援護に向かう。そなたは徒歩(かち)の者どもを連れ、後からついてきてくれ」
「承知いたしました。すぐに足軽たちをまとめまする」
「頼んだぞ」
甘利虎泰は騎馬隊のもとへ走る。
「皆の者、すぐに出張るぞ! 行先は産川の畔(ほとり)だ。保福寺道(ほふくじどう/東山道)を駈歩で北西に進め!」
部下にそう命じてから、愛駒の背に跨がる。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。