よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)7

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 大将だけでなく、先陣全体に戦慄が走った。
 しかも下塩尻岩鼻を見下ろす和合(わごう)城には、物見に出た武田勢の姿が見え隠れしている。和合城は虚空蔵山(こくぞうさん)に点在する連珠(れんじゅ)砦の一つであり、尾根の西端頂部にあった。
 もしも、越後勢が迂闊(うかつ)に上田原へ出張れば、砥石城からの挟撃を受けるどころか、連珠砦のどこかにいる伏兵に退路を塞がれる恐れもあった。
 それらの件を景虎に伝え、柿崎景家が指示を仰ぐ。
「われら先陣だけで上田原へ進みまするか?」
「武田の兵と北条の援兵は、どのくらいか?」
 景虎が訊く。
「目算では双方とも二千余ぐらいかと」
「北条勢の力を推し量るには良い機会かもしれぬが、小手調べの相手としては少々数が多すぎる、か……」
 遥か彼方を遠望するように、景虎は眼を細めて顎を上げる。
「……ここまでの対処を見れば、われらが攻めても相手がまともに応じてくるかどうかさえ怪しい。逆に、少し陣を下げて様子を見るか」
「どこまで退きまするか?」
「一里(四㌔)ほどか。敵からわれらの姿が見える辺りでよかろう」
「承知いたしました。では、まず本隊の移動をお願いいたしまする。われらは追撃に備えまする」
 柿崎景家が険しい面持ちで頭を下げてから、前線へ戻った。
 越後勢の本隊が後方の坂木へ退き始めたが、武田と北条の連合軍は静観し続ける。柿崎景家の先陣が下塩尻岩鼻の奥へ退いてから、初めて武田と北条の連合軍が半過(はんが)岩鼻へ押し出す。敵との距離を冷静に保つが如き慎重な前進だった。
 ここにきて、再び両軍の対陣が膠着(こうちゃく)する。
 越後勢はあらゆる方角を警戒するように方陣を布(し)き、周囲の様子を探っていた。
 だが、数日後の深夜、忽然(こつぜん)と退陣し、坂木から消える。
 翌朝、この一報を受けた武田義信は、援軍の将、北条綱成の陣に赴いた。
 ここにきて、再び両軍の対陣が膠着する。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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