第六回
川上健一Kenichi Kawakami
空はまだ雲に覆われている。分厚い雲だ。それでも雨は止んでいる。水沼が運転する黄色いオープンカーはゴルフ場を後にして函館空港へと向かってゆっくりと走っている。再び雨が降ってきてもおかしくない空模様なので幌(ほろ)を被せたままだ。三時をすぎたばかりなのに、車窓を流れる景色ははや夕方の気配が漂っている。羽田行きの最終便まではまだたっぷりと時間がある。急ぐドライブではない。
「おい、山田。本当に予約しなくても大丈夫か?」
後部座席の小澤が心配そうな声を上げる。
「大丈夫だって。俺は仕事で全国を飛び回ってるから分かってる。この時期の函館から羽田への便は空いているんだよ。三席ぐらいは予約しなくても確実に座れる。そんなことより、お前らも俺と一緒に東京さ帰ることはねえってのに。残って旅を続けろよ。紅葉のドライブを楽しんで、うまいもの食って、夏沢みどりを探せよ。そのために北海道に来たんだからさ。そうしなって、水沼」
「お前が公正取引委員会に出頭して逮捕されるっていうのに、夏沢みどりを探す気分じゃないよ。それにもうホテルはキャンセルしたし、ゴルフバッグは家に送ってしまったし、このレンタカーだって夕方に返すって電話入れてしまったしさ。まあ、一日だけの遅くて短い夏休みだったけど、北海道に来てよかったよ。久し振りにお前らとゴルフしたし、もしかしたら夏沢みどりに会えるかもしれないってワクワクした気分も味わえた。初恋に会うなんて夢だってことは分かってる。ちょっとの間ワクワクする夢を見られただけでも満足だ。いい気分転換になったし、東京に帰って張り切って仕事をするさ」
水沼は道なりにハンドルを切って笑う。ゴルフ場から幹線道路に出てからは、紅葉の森の中をゆるやかに曲がりくねっているカーブが続いている。
「それにしても、なんだって公正取引委員会とか特捜部はゴルフ場に来て山田を捕まえなかったんだろうね? やっぱり捕まえる気がないんじゃないの?」
と小澤。
「そんなことはないだろう。ニュースでは公正取引委員会が行方を追っているといってたじゃないか。函館にいてゴルフをやってるってことは絶対に分かっているはずだ。あ、もしかして今晩泊まる予定だったホテルで特捜部が待ち構えてるかもな。確かに公正取引委員会は何かの事情で動き出すのが遅かったのかもしれない。よくあるじゃないか。初動捜査が遅れて犯人を捕まえられなかったって」
水沼は助手席の山田を振り向き、それからバックミラーで小澤に同意を求める。
「そうかもしれないよね。だけどホテルはキャンセルしちゃったじゃない。ホテルで待ち構えてたとしたら、今頃キャンセルしちゃったことが分かって、公正取引委員会は慌てふためいてるかもよ」
小澤はくつくつと笑う。
水沼が後を引き取って続ける。
「もしくは、捜査が進んで山田はあまり重要人物じゃなくなったのかもな。お前がいなくても何人もの証言を集めたら談合事件の全容がほぼ解明されたとかさ。だったらしゃかりきになって行方を追わなくてもいいってことだよな。だから出頭するまで待つつもりかもしれない。どうだ山田?」
水沼は自分の言葉に納得してうなずきながら山田を見やる。
「どんだだが(どうかな)。我、公正取引委員会でも特捜部でもねすけ知らね」
「そうだよね。追いかけられる方だから知る訳ないよね」
小澤はうなずいていう。
「まあ、どうなってるんだがやじあねえども、夏沢みどりの家を探しに行ぐべ。今も住んでるとは思えないども、そのために函館さ来たんだからな。最終便まではまだ時間がのろっとある。せめて最初の手がかりを確かめるべし。んでねえと俺の気が治まらん」
声の調子を変えて山田もうなずく。
「そうだな。せっかくだから探してみるか」
水沼も二人に合わせてうなずく。
- プロフィール
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川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。