第一章 横須賀
八木澤高明Takaaki Yagisawa
女性の話を聞いて、一冊の小説を思い出した。ベトナム戦争時代の横須賀を舞台にした野坂昭如の『ベトナム姐ちゃん』である。
主人公は米兵相手の娼婦弥栄子で、明日をも知れぬベトナムの戦場へと旅立って行く米兵たちの心を癒していくうちに、己の心が蝕(むしば)まれていき、最後は精神を病んでしまうという物悲しいストーリーである。その中にどぶ板通りに関する記述がある。
”ドブ板通りは、基地のそばの歓楽街、百軒余りのバアが軒をつらねて、ベトナム帰りをボケと呼び、そのふところに一万あれば三千を店で使わせ、残りはアパート、ホテルへ連れ込み、鼻血も出ぬまでまきあげる”
弥栄子は、東京大空襲で母親を失い、天涯孤独の身となり、戦後の混乱期を食いつないでいくために娼婦となった。長年の娼婦稼業で梅毒を患い、気が変になってしまうのである。
たかが数十年前には、ぎりぎりの状況に身を置く娼婦たちが、数えきれないほどいた。話をしてくれた女性も、弥栄子のような女性を数多く見てきたことだろう。それゆえに、最後の言葉を発したのだろうと思う。
- プロフィール
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八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。