よみもの・連載

軍都と色街

第三章 舞鶴

八木澤高明Takaaki Yagisawa

西舞鶴の色街を歩く


 西舞鶴の街は、これまで歩いてきた東舞鶴とは趣が違った。街並みが小ぢんまりとしていて、歴史を感じさせる木造家屋が目につく。碁盤の目状でどこか近代的な雰囲気の東舞鶴とは対照的である。
 ここ西舞鶴にあった遊廓は朝代神社に隣接する朝代遊廓である。車一台通るのがやっとの、道を抜けて朝代神社の真横にある遊廓跡に足を運んだ。
 奈良時代に創建された朝代神社は、丹後地方の中心地にあったこともあり、多くの参拝客を集めた。
 朝代遊廓が公に認められたのは、一八八八(明治二十一)年のことだ。ただ、神社と色街の関係は深く、おそらく色街として成立したのは、それ以前のことだろう。江戸時代を例にあげれば、深川の富岡八幡宮や根津神社、上野の湯島など、人が集まる名だたる寺社仏閣のまわりには、色街が存在していた。
 ちょうど神社の参拝を終えた初老の男性に声を掛けてみた。
「私がまだ、高校生ぐらいの時は遊廓がありましたよ。建物は昔から比べたら減りましたが、それでも残っている方じゃないですか。歴史の一部ですから、残した方がいいと思いますけど、元々商売していた人からしたら、忘れたい過去でしょうし、難しいところですな」
 新築の住宅もあるが、残っている木造建築は遊廓時代のものだという。
 恥ずべき事という認識と歴史的な価値。相反する思いを融合させるにはどうしたらいいのだろうか。
 遊廓のことに関して気さくに話してくれたこともあり、西舞鶴と東舞鶴の違いについても尋ねてみた。
「あっちの人は、見栄っ張りの人が多いんじゃないでしょうかね。金が入ったら、外食をしたり、とにかくこちらと比べたら派手だと思いますよ。こちらの人は、あんまり目立たず生活するというのが、普通じゃないでしょうか。後から来た人だから、こちらには対抗意識みたいなもんはあると思いますよ」
 
 遊廓跡を歩いてみると、造成されて作られた近代の遊廓とは違って、昔ながらの細い路地にかつての建物が残っている。
 遊廓跡の雰囲気も東と西ではまったく違う。竜宮遊廓には、戦後になって復員した軍人たちや在日朝鮮、韓国人などが流入し住宅街となってしまったが、朝代遊廓は昔ながらの色街という雰囲気が残されている。人の入れ替わりが、激しくなかったことを物語っている。
 朝代遊廓跡の一角には、千野宮神社という小さな社があった。神社の玉垣には、朝代貸席組合、いろは、君の家など、遊廓の経営者などから寄進された玉垣が残されていた。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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