第二話『天命を待つ(萩城)』
矢野 隆Takashi Yano
「もそっと近う」
苛立ちを声ににじませ、吉元は言った。すると幽鬼は、灯火が微(かす)かに当たる所まで来て、深々と頭を下げた。こうして光に当てられた姿を見ると、やはり目の前の男は己が家臣である。小暮主水とかいう、近習になったばかりの若者だ。
「面を上げよ」
「はっ」
突然の夜中の呼びかけに、戸惑うようにして顔を見せる。目鼻立ちの整った端整な顔をした若者だ。が、吉元にその気はない。男のみの戦場にて欲を抑えられぬ戦国の世ならばいざ知らず、もはや太平の御代である。無理に男を求める必要もない。だからといって、誤解を解くような間抜けなことをするつもりもなかった。
「小暮主水、であったか」
「はっ」
若者は恐る恐る声を吐いた。
「名はなんという」
「基直(もとなお)にございます」
「そうか」
若き近習は、どうして良いのかわからずに、目を伏せる。
「年はいくつじゃ、基直」
「に、二十四にござります」
突然、名を呼ばれ驚いた基直は、わずかに声を震わせながら答えた。
「この地をどう思う」
「ど、どう思うとは……」
得心の行かぬ問いを投げかけられ、基直は忘我のうちに主の目を見つめていた。つぶらな瞳を正面から見据えて、吉元は続ける。
「御主はこの地で生まれたのか」
「先祖代々、御家に仕えておりまする。某(それがし)も萩に生まれ、こうして殿に御仕えしておること、なによりの誉と存知おり申す」
「そうか、萩で生まれたか」
いったいなにが言いたいのかという様子で、基直が首を傾げた。己と十五も歳の離れた若者は、まだ自分の心を隠す術を覚えてはいないようである。しかし、若者の純粋な疑問に答えてやる義理はない。
吉元はみずからの知りたいことだけを問い続ける。
「御主は今、満ち足りておるか」
「はい」
間を置かずに答えが返ってきた。
「そうか、満ち足りておるか」
「こうして殿の御傍に御仕えさせていただき、母や妻らも日々、某のことを誉として生きておりまする」
「このような牢獄に押し込められてなお、御主は満ち足りておると申すか。え、基直」
「牢獄……。にござりまするか」
呆けた声を吐く基直を前に、吉元の心のなかで、くすぶっていた怒りが形になってゆく。
- プロフィール
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矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。