第四話『憎しみの城(長谷堂城)』
矢野 隆Takashi Yano
「時に、上方のほうはどうなっておる」
家臣に問う。すると、一人の老臣が進み出て、うやうやしく平伏してから、義光に顔を見せて口を開いた。
「清州(きよす)城に集うておった徳川殿に与する福島正則(ふくしままさのり)殿、池田輝政(いけだてるまさ)殿らは岐阜城に攻め寄せ、一日にして落としたとのこと。内府(ないふ)殿もすでに江戸を発し、東海道を西進しておりまする。福島殿らは赤坂に陣を布き、大垣城に籠る石田三成らと睨みあっておるとのこと」
「家康殿が福島殿らと合流してからが、本当の勝負だな」
義光が言うと、老臣はちいさくうなずいた。
義康が父の顔色をうかがうように、言葉を吐く。
「家康殿は勝ちまするか」
「戦は蓋を開けてみねば解らぬ」
「はい」
息子は素直にうなずいた。
「よもや家康殿が負けるとは思えぬが、万が一ということも在り得る。すでに上方の趨勢は定まり、家康殿はこの世におらぬやもしれぬ。が、その時はその時よ」
義光は厳しい声で言った。
「武士が一度腹を決めたら、後は前を見て進むだけじゃ。いまは余計なことは考えず、健闘を祈るのみぞ」
豊臣を滅ぼすのは徳川しかいない。義光はそう信じ、家康に賭けたのだ。この期に及んで右往左往してもはじまらない。賭けに敗れ、すべてを失ったとしても、後悔はなかった。その程度の覚悟も定まらずに、一国の主など務まらない。
父の引き締まった顔を見て、ちいさくうなずいてから言葉を継ぐ。
「ならば家康殿の勝利を、遠い出羽の地から祈りましょう」
「まずは儂等がこの地で勝たねばならぬ」
「はい」
父を見つめる息子の瞳に、義光は駒の幻を見ていた。
直江山城守の軍勢が長谷堂城を取り囲んで、九日が過ぎた。すでに伊達の後詰の兵たちは山形に到来し、直江山城守を牽制(けんせい)するように敵本陣北東に布陣している。
西の情勢も解らぬなかで、支城ひとつを攻めあぐねている敵の焦りは頂点に達しようとしていた。
「光安が打って出たか」
長谷堂城よりの使いを前に、義光は腕を組みながら言った。
山形城に留まり続ける家臣達の顔には、一様に疲れが見える。戦場に赴き刃を交えているほうが、こうして待つよりもよほど楽だと、義光も思う。仲間の奮戦を信じながら、幾日も城中で待つというのは、苦しいものだ。いつ何時、戦局が動くかもしれない。一日たりとて深い眠りに就くことはなかった。そのうえ、敵の姿が見えぬから対処のしようもない。長谷堂城よりもたらされる報せに一喜一憂しながら、気の抜けない時を過ごす。それがどれだけ心を消耗させるか、義光も身をもって感じている。
しかし義光はまったく疲れていなかった。日々やつれてゆく家臣たちを尻目に、日を追うごとに義光の目は爛々(らんらん)と輝き、総身には生気が満ち溢れてゆく。
駒の無念という名の心にかかった靄(もや)が、次第に晴れてゆくようだった。義光は、妄念に囚われた父親から、戦人(いくさびと)へと変貌しようとしている。
- プロフィール
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矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。