よみもの・連載

城物語

第四話『憎しみの城(長谷堂城)』

矢野 隆Takashi Yano

 機が迫っていた。じきに戦局は大きく動く。それを心の奥で悟っている。
 敵の焦り、そして数日のうちにやって来るであろう西からの使い。家臣たちの疲弊。山形城に集う武士たちの鬱屈が、いまにも決壊しようとしている。溢れだした奔流は、果たして何処に向かうのか。
 直江山城守に牙を剥くのか。それとも己に向かうのか。いずれにしても、決着の日はそう遠くはないはずだ。
 義光は泥と汗にまみれた使者に、穏やかな声をかける。
「相解った。奥で飯を喰い、しばし休め」
「光安様をはじめ、御味方は今も戦うておりまする。休んでなどおられませぬ」
 若い瞳に邪気をはらませ、使者が言った。山形城から動かない主に対し、いくばくかの不審があるのだ。だからといって若き使者の皮肉などに心を動かされるわけにはいかない。焦っているとはいえ、直江山城守はなおも一万ほどの兵で長谷堂城を取り囲んでいるのだ。軽い気持ちで腰を上げ、後詰に行ったはいいが、迎え撃たれて敗走すれば、山形城は落ちる。
 薄氷の上を歩むようにここまで来たのだ。
 まだまだここで待つ。
「励め」
「はっ」
 若き使者は、それ以上抗弁するほど愚かではなかった。深々と頭を下げて、機敏な動きで広間を去る。姿が見えなくなってから、義光は家臣たちに声をかけた。
「まだまだ、意気盛んであるな。長谷堂の者どもは」
 誰も答えない。かすかにうなずく者もいるが、大半が苦笑いを浮かべたまま固まっている。
 新たな使者は、すぐにやってきた。
 義光の前に現れた長谷堂城からの伝令は、先の若者に負けず劣らず、士気に満ち溢れたいい顔をしていた。
「長谷堂城下で敵将、上泉泰綱(かみいずみやすつな)と交戦中、我が方優勢なり」
「動いたか」
 義光は笑う。が、義康や家臣たちは、息を呑んで使者を注視している。
「光安はなんと申しておる」
「御加勢無用。敵は我等で退けますると」
「そうか。光安らしいな」
 義光の言葉を聞いた息子が、頭を下げて声を吐く。
「光安はそう申しておりまするが、十日以上も敵と向きあい、城兵どもの疲れも極まっておりましょう。ここは我等も」
「ならぬ」
 義康の言葉をさえぎるように言った義光の目は、使者に定められたまま動かない。
「しかし」
「ここで動くくらいなら、すでに動いておる。光安が己でなんとかすると申しておるのじゃ。儂等はそれに応えねばならん」
 なおも詰め寄ろうとする息子を、掌を掲げて、制する。
「御主が城から討って出たい故、そのようなことを申しておるのではないのか」
 言われたことを理解できぬのか、義康が怪訝な表情を浮かべる。義光は端然と息子を見つめ、続けた。
「光安を助けたいと思うより先に、御主自身が早う戦場で暴れたいのではないのか。ここでじっと伝令を待つ暮らしが、もはや耐えられぬのであろう」
「そっ、そのようなことは」
 義康が伝令や家臣たちへと目を向けた。心を見透かされて戸惑っている。
「しばしの辛抱じゃ。儂等が動く時は近い」
 義光が言った時、三人目の伝令の到来を告げる声が広間の端から上がった。敵との激突を告げた伝令が去り、新たな者が広間に入ってくる。これだけ頻繁に伝令を放つということは、それだけ情勢が緊迫しているということだ。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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