第五話『士道の行く末(五稜郭)』
矢野 隆Takashi Yano
「館城を攻めていた一聯隊から、今、報せが入った。館城を焼き、鶉村(うずらむら)まで引き上げたそうだ。藩主、徳広(のりひろ)はすでに城を退いた後だったらしい。今頃は熊石あたりに逃げているんじゃないのかな」
「そうですか」
館城も落ちたとなると、藩主に残されている道はそれほど多くはない。熊石では防ぎきれない。蝦夷島を出て陸奥(むつ)へと逃げるしか手はないはずだ。
「我等の勝ちだ土方君」
握った手を上下に揺らしながら、榎本が熱っぽく語る。そのやけに親し気な態度が、どうしても好きになれない。
苦笑いを浮かべながら榎本を見る歳三の耳に、悲鳴のような声が飛び込んできた。
「総裁っ、開陽がっ」
「どうした」
血相を変える部下を見て、榎本が歳三の手を放り、外へと飛び出した。歳三も後を追う。
「なっ……」
丘の下に見える海に、開陽が佇(たたず)んでいる。船体がやけに斜めに傾いていた。
「暴風にあおられ、碇も役に立たず、暗礁に」
「座礁かっ」
かたわらの男の報告を断ち切り、榎本が叫んだ。
開陽は旧幕軍の旗艦である。榎本自身が乗り込み、蝦夷島へと辿り着いた旧幕軍の心の支柱でもあった。
「こ、こんなところで……」
いつも穏やかな榎本も、さすがに苦悶の表情で声を失った。
悲報は続く。
「我等は神速までも失ったよ」
榎本の言葉を、歳三は江差の丘の上で聞いた。
開陽の座礁を聞き、箱館より救援に訪れようとしていた神速が、その途上、座礁して沈没したのである。
藩主が逃げた後の熊石を攻め、五百人ほどの松前藩兵の投降を受け入れた後、江差に戻って来た歳三は、悲痛な榎本の報告を受け止めている。眼下に見える開陽は、この十日ほどの間に、船体の大半を海中に没していた。
細い松の木に拳を当て、歳三は黙ったまま開陽を見つめる。その視線の先で、じりじりと旧幕軍の旗艦が沈んでゆく。その姿は、これから先の自分たちの行く末を暗示しているかのようだった。
「土方君が弱っている姿を、はじめて見たよ」
背後で榎本が言った。どうやら拳を握りしめて開陽を眺める背中が、弱っているように見えたらしい。
馬鹿にするんじゃねぇ。
歳三は心でそうつぶやく。
清々した。
戦は剣と槍でやるものだ。あんな鉄の化け物で蹂躙(じゅうりん)するようなやり方は、戦ではない。あんな物があるから、地を行く兵の心が弱くなる。我等には開陽があるからどうにかなるはずだと、己とはかけ離れた場所で油断するのだ。
そんな物は無いほうが良い。
戦は地上でやるものだ。城を落とされるまで、負けはしない。
- プロフィール
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矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。