-短編ホテル-「ドン・ロドリゴと首なしおばけ」

ドン・ロドリゴと首なしお化け

東山彰良Akira Higashiyama

 次なる奇妙なつながりを担うのは、ドン・ロドリゴだ。
 彼は身寄りのない老人で、自分のことを元殺し屋だと思っていた。ぼくとマヌエルが勤めている療養所の入所者なのだけれど、ドン・ロドリゴの幻想をひと言で虚言癖と片付けてしまうには、彼の口から紡ぎ出される昔話にはいつも奇妙な説得力と教訓が含まれていた。
 たとえば、若かりし日のドン・ロドリゴが誰かの喉をナイフで掻(か)き切ったときの話だ。そのときの情景をありありと描写してから──あれは雨に煙る倉庫街の片隅だった、わたしの標的は貨物船にもぐりこんで国を出ようとしていたんだ、その男は組織の……まあ、ここではミチョアカン州の組織とだけ言っておけばいいだろう、それだけ言えばもうわかるだろ?(かの悪名高き麻薬カルテル、ラ・ファミリア・ミチョアカーナのことだろうか)その男は組織の財政にかなりの痛手をあたえたんだ、わたしは二年も彼を追っていた、その夜は月が緑色に光っていてね、暗い海面には霧が立ち込めていて、灯台の光が緑色の水に滲(にじ)んでいるみたいに見えたよ、赤煉瓦の倉庫の壁には剝がれかけたペンキで〈13〉と書かれていた、光が差し込まないその十三番倉庫の暗がりでわたしは彼を背後から襲ったんだ、遠くで外国の船員たちの歌声が聞こえていたよ──ドン・ロドリゴは溜息(ためいき)をつき、そして首をふりながらこう締めくくるのだ。
「首を押さえた指のあいだからしたたる血を見たとき、あの男はやっと成長できたんだよ。血の海のなかで息絶えようとしていた彼に、わたしはこう言ったんだ。友よ、もう手遅れだと悟ることが成長するってことさ」
 ドン・ロドリゴの話を聞いてざっと数えたかぎりでは、彼はすくなくとも六十六人を殺している。もし彼が本当に麻薬カルテルの殺し屋なら、納得できる数だ。でも、それを鵜呑(うの)みにすることは、もちろんできない。ここで暮らしている人たちの大半が、介護士のぼくたちに対してなんらかの噓をつく。彼らは噓をつくことに慣れすぎていて、むしろ真実のほうを噓だと思いこんでいるくらいなのだ。
 虚言癖がある人はふつう、虚栄心か劣等感の塊だ。彼らは自分を大きく見せようとしたり、あるいは同じことではあるけど、自分の卑小さを隠そうとして噓をつく。
 でも、ドン・ロドリゴはそんなじゃない。
 ふさふさした白髪頭に白い顎鬚をたくわえ、大きな黒縁眼鏡をかけたドン・ロドリゴは、たいてい中庭のベンチのそばで本を読んでいる。彼はそこから見下ろすグアナフアトの街並みが好きで、いつも同じ場所に車椅子を停めさせる。車椅子のブレーキレバーをちゃんとかけたあと、ぼくはかたわらのベンチに腰掛けて、まるで日時計みたいに芝生の上をゆっくりと動く人たちを眺めたり、タマリンドの樹から落ちてくる鞘入(さやい)りの実を拾っては投げ捨てたり、ぼんやりと空を眺めたりする。誰かが近くをとおりかかれば、ドン・ロドリゴは本から顔を上げてきちんと挨拶をする。やあ、ホセ、調子はどうだい? ちょっと風が出てきたから、タリアはそろそろなかに戻ったほうがいいね。それから微笑を浮かべたまま、ひとつだけ銀の指輪をはめた手で眼下の風景を指さし、本の世界に戻っていくまえに決まってこう言うのだった。
「ほら、ドゥラン川のちょうど真ん中あたりに緑がたくさん茂っているところがあるだろ? ここからじゃ樹に隠れてよく見えないけど、そこにコロニアルふうの小さなホテルがあってね、わたしはずっとそこで暮らしていたんだよ」
 グアナフアトはどこもかしこもコロニアルふうの建物ばかりですよ。でも、ぼくはそう言わずに、お決まりのお追従を口にする。
「まさか凄腕(すごうで)の殺し屋がそんなところに住んでるなんて誰も思いませんね、ドン・ロドリゴ」
「そのとおりだよ、ダビッド」

プロフィール

東山彰良(ひがしやま・あきら) 1968年、台湾台北市生れ。9歳の時に家族で福岡県に移住。2003年、「このミステリーがすごい!」大賞銀賞・読者賞受賞の長編を改題した『逃亡作法 TURD ON THE RUN』で、作家としてデビュー。09年『路傍』で大藪春彦賞を、15年『流』で直木賞を、16年『罪の終わり』で中央公論文芸賞を受賞。17年から18年にかけて『僕が殺した人と僕を殺した人』で、織田作之助賞、読売文学賞、渡辺淳一文学賞を受賞する。『イッツ・オンリー・ロックンロール』『女の子のことばかり考えていたら、1年が経っていた。』『夜汐』『越境』『小さな場所』『どの口が愛を語るんだ』『DEVIL’S DOOR』など著書多数。訳書に『ブラック・デトロイト』(ドナルド・ゴインズ著)がある。