錦上ホテル
大沢在昌Arimasa Oosawa
映文社の外山(そとやま)から電話がかかってきたのは、書き下ろしの短篇(たんぺん)アンソロジーのアイデアを思いつけず、二時間以上机の前で呻吟(しんぎん)していたときだった。複数の作家に同じテーマで短篇を書かせ、文庫で売りだすというものだ。
若い頃さんざん短篇を書かされ、できるならそういう仕事は受けたくなかったのだが、パーティ会場で会った売れっ子美人作家の桜井志穂に、
「兄(あに)さんもいっしょにやろ! ね、ねっ」
とせがまれ、つい頷(うなず)いてしまった報いだった。たてつづけに賞をとり作品が映画化もされている桜井に「兄(あに)さん」と呼ばれて悪い気がしなかったせいもある。
「もしもし」
私の声は相当不機嫌だったのだろう。
「すみません。かけ直しましょうか」
外山は申しわけなさそうにいった。
「かけ直すくらいなら、集源社を燃やしてくれ」
「え、集源社とトラブっているんですか」
外山は心なしか嬉(うれ)しそうな声でいった。
「別にトラブっているわけじゃない。軽率の報いを受けているだけだ」
「あっ、例のアンソロジーですか。伊多々田(いたたた)先生は逃げちゃったらしいですよ。桜井さんに喉をくすぐられてつい受けたけど、よくよく考えたら、集源社には毎月三百枚書いているのだから、この上読み切りの短篇なんて書く余裕はないって」
外山はさらに嬉しそうにいった。
「伊多々田先生は逃げられても俺はそういうわけにいかないんだよ」
答えながら、心の内で桜井志穂を罵った。あのオヤジ作家殺しめ。
「そうですか。けっこういいメンバー揃えているなって思っていたんですが、こりゃあ原稿集めが大変そうだな」
「よその仕事の邪魔をするためにかけてきたのか」
「ちがいますよ。うちの上野さん、今年定年なんですよ。定年になったら送別会やろうって、前におっしゃっていたじゃないですか」
外山の言葉を聞き、私は唸(うな)った。
「そうか、今年か。昔から老けていたから、いつかなと思っていたが」
上野はほぼ同世代のベテラン編集者で、ミステリをこよなく愛し、私も売れていない頃から注文をもらい、酒や食事もいく度となく馳走(ちそう)になった。どんな売れっ子、大家だろうと無名の作家だろうと分けへだてなく接するので、若手作家には人気があった。が、その若手もじょじょに売れ、ベテランになってくると、歯に衣(きぬ)着せぬ作品評をする上野を煙たがるようになる。同時代を併走してきた作家でも、売れっ子になれば多少はちやほやされたいのが人の常だ。それを、
「最近は、先生のお作もちと息切れ気味ですな」
などといってのける。私も売れない時代は励まされ、売れてからはチクチクとやられた。しかし恩人であるし、戦友ともいえる上野が会社員生活を終えるとなれば、何かしらせずにはいられない。
- プロフィール
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大沢在昌(おおさわ・ありまさ) 1956年、名古屋生まれ。79年、『感傷の街角』で第1回小説推理新人賞、91年『新宿鮫』で第12回吉川英治文学新人賞、第44回日本推理作家協会賞、93年『新宿鮫 無間人形』で第110回直木賞、2004年『パンドラ・アイランド』で第17回柴田錬三郎小、10年第14回日本ミステリ文学大賞、14年『海と月の迷路』で第48回吉川英治文学賞を受賞。著書に『毒猿』『絆回廊』など新宿鮫シリーズのほか、『欧亜純白』『烙印の森』『漂砂の塔』『悪魔には悪魔を』など多数。