聖夜に
下村敦史Atsushi Shimomura
彼には家族もいないという。一人っ子で、両親も三十二歳と三十四歳のときに病気で亡くしている。一人暮らしをしているうちに死に別れた。死に目には会えなかった。
それほど仲が良くなかったとはいえ、もう一生会えないと思うと、喪失感で胸が苦しくなった、と語った。
孤独──。
「結婚でもしていたら、って思ったけど、女の子とどう付き合ったらいいか分からないし、こんな僕を好きになってくれる女性がいるとも思えないし、それからずっと一人で生きてきたんです。全てを諦めて」
ノリは本業のトラック運転手がつらくなり──上司の人格否定の罵倒が原因だ──、有休取って日本を飛び出したという。フィリピンを選んだのはたまたまで、この売春宿に足を踏み入れたのは強面(こわもて)の客引きに捕まって断れなかったから、と話してくれた。
ノリの瞳には寂しさと後悔が渦巻いていた。
「寂しい……」
ノリはぽつりと言った。その声は台詞どおり寂しげで、胸が締めつけられた。
「……こんな僕の話を聞いてくれてありがとう。嬉しかったです。よければまた話をするために来てもいいですか?」
マリカはノリの目を真っすぐ見つめた。
「ハイ。モチロン」
その日からノリは毎日やって来た。指名され、個室のベッドで彼と隣り合って他愛もない話をする。
「マリカはスポーツは観(み)ますか」
「どんな音楽を聴きますか」
「家族とは仲がいいですか」
質問するのはもっぱらノリのほうだった。それに答えると、彼が自分の話をする。
「……こうして話し相手になってくれて嬉しいです」
「フツウノコト、デス」
「そんなことないです。こんなモテないおじさんの話に付き合ってくれて──」
そんなことで感謝されることに驚いた。
ここは売春宿で、女は金を貰(もら)って体を売る。客の男たちは誰もがそれだけを望み、やって来る。
「マリカさんはどうしてこういうことをしているんですか──?」
マリカは部屋の隅へ顔を向け、視線を落とした。自分の境遇を誰かに話したことはない。誰も興味を持たなかった。
「カレガ──」
気がつくと、マリカは片言の日本語で自分のことを吐き出していた。
- プロフィール
-
下村敦史(しもむら・あつし) 1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞し、デビュー。他の著書に『生還者』『失踪者』『告白の余白』『黙過』『刑事の慟哭』『絶声』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』など多数 。