聖夜に
下村敦史Atsushi Shimomura
ノリは黙ったまま話を聞いてくれた。カツベのことを語ると、彼は渋面になった。
「俺がこんな口調で怒っているのは、怒らせるほうに責任や問題がある──なんて、典型的なモラハラ≠フ手口ですよ。僕も職場の上司がそんなんだから、マリカさんの苦しみ、よく分かります。僕ならマリカさんを傷つけたりしないのに……。大好きだから」
こんな自分を好きと言ってくれることが嬉しかった。
「しかも、マリカさんをこんな場所で働かせてヒモ生活≠ネんて、日本人の面汚しです」
「ヒモ──?」
聞き慣れない単語に訊(き)き返すと、ノリは説明してくれた。働く女性のお金で怠惰な生活を送る男をそう表現するという。
「なんとか逃げられないんですか?」
ノリは心から心配そうに尋ねた。
「……ムリデス」
「どうして?」
「カレハ、ドコマデモ、オイカケテキマス」
カツベは現地のNPOで働いていて、フィリピンじゅうにつてがあると豪語していた。どこへ逃げても必ず見つけ出せる、と脅された。
マリカはそう語った。
ノリの顔に暗い影が落ちる。彼が自分のことのようにうな垂れたのだと分かった。
「そうですか……」
ノリは深刻な表情で黙り込んだ。
マリカは彼の横顔を見つめた。
自分の話にこんなに真剣になってくれるなんて──。
「アリガトウ、ゴザイマス」
ノリが「え?」と顔を向けた。
「ダレモワタシノジジョウ、キョウミヲモッテ、クレナカッタカラ……」
「マリカさんのことなら何でも知りたいです。でも、そんな事情があるなら──救いたいです」
「アナタモマキコンデ、シマウシ、フィリピンニイルカギリ、カレカラハニゲラレマセン」
「日本に逃げてくるのはどうですか?」
「ニホンニ?」
「そうです。僕と一緒に──」
豊かな日本へ──。
その言葉は甘美だったが、非現実的だった。日本で真っ当な仕事をして仕送りできたら、どんなにいいだろう。しかし、肩書きも資格もない外国人に働き口があるはずもない。
マリカはそう説明した。
- プロフィール
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下村敦史(しもむら・あつし) 1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞し、デビュー。他の著書に『生還者』『失踪者』『告白の余白』『黙過』『刑事の慟哭』『絶声』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』など多数 。