-短編ホテル-「聖夜に」

聖夜に

下村敦史Atsushi Shimomura

「ニホン、タイザイシテモ、スグキゲンキレマス。ワタシ、ニホンニスムシカク、アリマセン」
 ノリは下唇を噛んでうな垂れ、真剣に思い悩んでいる表情を見せていた。
「だったら──」ノリは決然と顔を上げた。「日本で僕と結婚しませんか」
「エ?」
「ごめんなさい。こんなおじさん、嫌ですよね。分かってます。いい年して女の子と話すのも苦手だし、トラックの運転手をしながらコンビニバイトを二店、掛け持ちして、日々の生活に追われている孤独なおじさんですから。でも、マリカさんを想う気持ちは本気です。マリカさんが大好きなんです」
 胸がきゅっと締めつけられた。
 自分に自信がなくて、真っ当に働いているにもかかわらず、そのことに負い目を感じているノリ。乱暴な言葉遣いもせず、優しく、気遣ってくれるノリ。
 守ろうとしてくれているのに、逆に救いたい、支えになりたい、と思わされるほど、ノリに孤独を感じた。
 しかし──。
「ゴメンナサイ」
 マリカは謝った。そのとたん、ノリの表情が打ち沈んだ。顔がくしゃっと歪(ゆが)む。
「そう──ですよね。僕みたいなおじさんがこんなこと言っても気持ち悪いだけですよね。ごめんなさい」
「チガウンデス!」マリカは慌ててかぶりを振った。黒髪が乱れる。「キモチ、ウレシイデス。デモ、カンタン、チガイマス」
「……忘れてください。変なこと言いました。でも、マリカさんを大好きな気持ちは本物です」
「アリガトウ、ゴザイマス」
 結局、ノリの提案には応じられなかった。その後、帰国日が明日に迫っていると聞かされた。
「ごめんなさい。だから、マリカに会えるの、今日が最後です。僕はもう日本に帰らなければいけません」
「ソウデスカ……」
 寂しさが胸に去来した。思えば、ノリは常に気遣って、大事にしてくれた。何日も通ってくれた彼とは一度もして・・いない。
 ノリが「それじゃ──」とベッドから腰を上げた。マリカは反射的に手首を掴もうとし、腕を引っ込めた。
 次の客が待っている。引き止めることはできない。
 立ち上がったノリの表情は半泣きのように見えた。
「寂しいよ、マリカ」
 マリカは黙ってうなずいた。

プロフィール

下村敦史(しもむら・あつし) 1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞し、デビュー。他の著書に『生還者』『失踪者』『告白の余白』『黙過』『刑事の慟哭』『絶声』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』など多数 。