聖夜に
下村敦史Atsushi Shimomura
5
2008年12月25日午後7時45分
マリカは深呼吸すると、フロントに歩み寄った。カウンターの向こう側に制服姿の男女が立っている。
フロント係の女性は、白人の老人と英語でコミュニケーションをとっていた。その後ろにはアジア系の夫婦が三歳くらいの娘とともに並んでいる。
後ろからはフランス語の会話が聞こえてきていた。
国内からもビジネスや旅行で来ているのか、日本人が圧倒的に多いものの、さすがに一流ホテルは客も多国籍で、フィリピンからやって来た女も悪目立ちしない。
フロント係の男性の前には、日本人の男性客が立っていた。
「──おおきに」男性客は聞き慣れない日本語で笑顔を見せていた。「ほな、よろしくお願いします」
マリカは片方が空くのを待った。やがて、日本人の男性客がその場を離れた。
「こちらへどうぞ」
フロント係の男性が声をかけてくれた。マリカは前に進み、おずおずと話しかけた。
「マリカ・サントスデス。ヨヤク、アリマス」
「少々お待ちください」
フロント係の男性がパソコンを操作しようとしたので、マリカは慌てて言った。
「アー、ヘヤハ、ベツノナマエ、ダトオモイマス。ヨヤク、シテクレテイル、ハズデス」
「お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「ホリノウチ──デス」
「ホリノウチ様ですね」
フロント係の男性はパソコンを操作した。マリカは彼の顔をじっと見つめながら待った。
二十秒ほど経ってから、フロント係の男性が顔を上げた。表情に若干の困惑が表れている。
「ホリノウチ様でお間違えないでしょうか」
「ハイ。ホリノウチ、デス」
「申しわけございません。ホリノウチ様のご予約が入っておりません。他のお名前の可能性はありませんか」
「アルハズ、デスガ……」
「もう一度お調べいたします」
フロント係の男性は再びパソコンを操作した。
マリカは拳をぐっと握り締めた。緊張で手のひらに汗が滲み出たのが分かる。
フロント係の男性の表情がぱっと明るむことはなかった。
ノリは手紙で伝えてくれた。クリスマスの夜、『ヴィクトリアン・ホテル』を予約して待っている、と。
- プロフィール
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下村敦史(しもむら・あつし) 1981年京都府生まれ。2014年に『闇に香る嘘』で第60回江戸川乱歩賞を受賞し、デビュー。他の著書に『生還者』『失踪者』『告白の余白』『黙過』『刑事の慟哭』『絶声』『ヴィクトリアン・ホテル』『白医』など多数 。