グレート・ナンバーズ
真藤順丈Junjou Shindou
〈王子〉
持参したヘチマの繊維(せんい)で、王子はみずからの体を洗い浄(きよ)める。熱い湯でピンク色に染まった体にたっぷり石鹸(せっけん)の泡をまとわりつかせ、脂肪のひだに指をくまなく潜りこませて老廃物を落とす。シャワールームの柔らかな照明のなかで、瑞光(ずいこう)をまきちらすように全身が濡れて光っていた。
私を見よ。美食によってつくられたこの体を見よ。自信満々のデブと揶揄(やゆ)する向きもあるが、私はそもそも肥満の次元にはいない。私は巨大なのだと王子は考える。肥満をあげつらうくだらない風潮は、そもそもダイエットの必要を言いたてて金儲けをしたがる卑しい者のたわ言にすぎない。その証(あかし)になるのが女たちだ。スモウ・レスラーと寝たがるコンパニオンやテレビアナウンサーが引きもきらないこの国でなら理解もしやすいはずだ。こんなデブに抱かれるのはみっともないという表向きの虚栄心さえ取り覗いてやれば、すべての女がすすんでこの肉の大自然に溺れたがる。貧相なもやし男では味わえない本物の絶頂(エクスタシー)に打ち震えるのだ。
そうこうするうちに、デラ・パンテオン・スイートのチャイムが鳴った。王子はバスタオルを腰に巻くと、濡れた足で滑らないように玄関へ向かう。ああ、奔放な女神との再会だ。北欧神話のフレイヤは生と死、愛と戦争、豊饒を司る女神で、神々のみならずドワーフや巨人すらも彼女を欲しがったという。私はその巨人の一人だ。玄関の手前で大きく息を吸いこんで最大限に体をふくらませると、王子は扉を開けて、待ちわびたその女(ひと)との邂逅を果たした。
「マフちゃん、来たよ」
ああ、フレイヤ。君に会いたかった。そのお腹は本当にふくらんでいる。電撃に貫かれたように全身がぞくぞくした。背後には黒服の男たちが控えているが、入室まではしない。お楽しみのあいだは扉の外で待機するのが相互の了解となっていた。
「ねえ、見てのとおりあんまり激しいプレイはできないからね」フレイヤが頰に唇を寄せてきた。王子は唇で迎え撃とうとして、焦らすようにかわされる。「さあ、まずは何からする。全身ローション? 鬼さんこちら? それとも世界一周(アラウンド・ザ・ワールド)?」
- プロフィール
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真藤順丈(しんどう・じゅんじょう) 1977年東京都生まれ。2008年『地図男』で、第3回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞しデビュー。同年『庵堂三兄弟の聖職』で第15回日本ホラー小説大賞、『東京ヴァンパイア・ファイナンス』で第15回電撃小説大賞銀賞、『RANK』で第3回ポプラ社小説大賞特別賞をそれぞれ受賞。18年から19年にかけて『宝島』で第9回山田風太郎賞、第160回直木三十五賞、第5回沖縄書店大賞を受賞。著書に『墓頭』『七日じゃ映画は撮れません』『しるしなきもの』『黄昏旅団』『夜の淵をひと廻り』『われらの世紀 真藤順丈作品集』など。