グレート・ナンバーズ
真藤順丈Junjou Shindou
〈飛び道具〉
デラ・パンテオン・スイートに標的(ターゲット)が入っていくのを、景山が防犯カメラの映像で確認した。想定よりも大人数のボディガードたち、マフムード三世の護衛も三人ほど客室の前にたむろしている。正面突破を図るのは難しかったが、裏を返せばプレイタイムは絶好の機会ということになる。
「ほんじゃま、行きますわ」
飛び道具の出番だった。景山がインカムで送ってくる指示を聞いて、キドーは唾をぴゅっぴゅと吐いた両手を擦りあわせ、夜陰に乗じてタワーホテルの外壁に取りついた。登るのか、登るんだよ、キドーはそのために雇われたのだから。外観を損ねるダクト類は露出していないが、大谷石やスクラッチ煉瓦が多用されているのでフロートやペアガラスに比べれば取りつきや足場には事欠かない。煉瓦と煉瓦のあいだにかわるがわる手足を差しこみ、フリークライミングの要領で高い壁を昇っていく。
地上から離れること一〇メートル、二〇メートル。
危なげもなく三〇メートル、四〇メートル。五〇メートル。
ワイヤーも命綱もなしで、タワーホテルを登る、登る、登る。
懸垂で体を引き上げて、隆起する僧帽筋のあいだを伝う汗。手が滑れば転落死もまぬがれないのに、キドーは鍛錬によって極限まで身体能力を高めて、恐怖すらも克服してしまった猛者(もさ)だった。ブラボー!
夜陰のクライミングの終着点は、九十二階のスイートルーム。そこまでいくと途方もない高さになるけど、お茶の子さいさいの離れ業で早くも五〇階に達する。しかしそこで予期せぬトラブルが発生する。虫が来ちゃった。
他人よりキドーが昆虫嫌いだったわけじゃない、飛んできたのはスズメバチ。しかも突然変異体のように馬鹿でかい一匹だった。こんな高いところに? 高山とおなじようにハチは標高の高いところにも生息する。十階ごとにあるパントリーの裏窓の庇(ひさし)に営巣していたのだった。
「厄介なちびが来やがった」
領土侵犯を察したのか、キドーのそばでぶんぶんと滞空飛行をはじめる。追いはらおうにも待避しようにも、壁登りのただなかでは打つ手がない。
「お前らの巣を荒らすつもりはねえから、尾っぽの物騒な針はしまっとけ」
説得が通じる相手でもない。ことによるとクライミング中に遭遇するには最悪の相手かもしれない。テリトリーを守るためなら大型動物も攻撃する戦闘集団だ。針の餌食(えじき)になれば細かい鋸(のこぎり)状の刺針が、皮膚のコラーゲン繊維をぶちぶち切断しながら刺さる。毒液はさまざまな毒性物質の恐るべきカクテルで、標的の顔めがけて毒をまきちらすこともでき、目に入れば失明する。体内に入ったら血管から全身をめぐり、激痛やアレルギー反応を引き起こす。最悪なのはキドーが隠密行動のために黒一色の格好をしていたことだ。大好物の蜂蜜を採るために蜂の巣を襲うクマだと勘違いされかねない!
- プロフィール
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真藤順丈(しんどう・じゅんじょう) 1977年東京都生まれ。2008年『地図男』で、第3回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞しデビュー。同年『庵堂三兄弟の聖職』で第15回日本ホラー小説大賞、『東京ヴァンパイア・ファイナンス』で第15回電撃小説大賞銀賞、『RANK』で第3回ポプラ社小説大賞特別賞をそれぞれ受賞。18年から19年にかけて『宝島』で第9回山田風太郎賞、第160回直木三十五賞、第5回沖縄書店大賞を受賞。著書に『墓頭』『七日じゃ映画は撮れません』『しるしなきもの』『黄昏旅団』『夜の淵をひと廻り』『われらの世紀 真藤順丈作品集』など。