-短編ホテル-「グレート・ナンバーズ」

グレート・ナンバーズ

真藤順丈Junjou Shindou

〈アッシャー〉

 さてさて、ホテルの夜は分水嶺(ぶんすいれい)を超えてしまった。
 こうなったら引き返しは不能だ。
 誰も昨日までの世界には戻れない。
 だったら一夜の修羅場にふさわしく、贅肉を削(そ)ぎ落して語ろう。タワーホテルに警報を轟かせたのはショッピングカート・レディだった。森たちが目を離しているすきに、カートごと建物に侵入して、そうして何を思ったか、積んできたダンボールや衣類をありったけ化粧室でぶちまけて、灯油を浴びせて燃やした。天罰覿面(てきめん)! これでこのまがまがしいホテルは崩れ落ちるよ! とレディは叫んでいたとかいないとか。なんといっても高層建築物だから、ワールド・トレード・センターの悪夢も脳裏をよぎるから。おのずとタワーホテルでは設備面でも人員面でも、災害全般にきわめて過敏にならざるをえない。煙と熱を察知した火災報知器はけたたましい叫びをあげて、ロビー階から最上階にいたるまで建物全体を蠕動(ぜんどう)させた。防火シャッターと防火扉の一部が閉まってしまい、エアコンや排煙装置のダウンがなかなか正常に復さない。預言者のように叫んでいるレディを駆けつけた消防と警察に引き渡したところで、森たちにもナイトマネージャーからの集合がかかった。手の空いている者はみな残らず集まるようにと。夜間のホテルの責任者は、景山コンシェルジュだった。
「なんか……スイートで人を殺した女が逃げてるって」

プロフィール

真藤順丈(しんどう・じゅんじょう) 1977年東京都生まれ。2008年『地図男』で、第3回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞しデビュー。同年『庵堂三兄弟の聖職』で第15回日本ホラー小説大賞、『東京ヴァンパイア・ファイナンス』で第15回電撃小説大賞銀賞、『RANK』で第3回ポプラ社小説大賞特別賞をそれぞれ受賞。18年から19年にかけて『宝島』で第9回山田風太郎賞、第160回直木三十五賞、第5回沖縄書店大賞を受賞。著書に『墓頭』『七日じゃ映画は撮れません』『しるしなきもの』『黄昏旅団』『夜の淵をひと廻り』『われらの世紀 真藤順丈作品集』など。