グレート・ナンバーズ
真藤順丈Junjou Shindou
〈コンシェルジュと神殿娼婦〉
あの女を、ホテルの外へ出すな。
始末しそびれたキドーには責任をとらせなくてはならないが、計画自体が頓挫したわけではない。この混乱のさなかで目的を果たすしかない。アッシャー、ポーター、ナイトクリーナーに客室係、広報からマーケティング担当まで駆りだして、各階の巡回に当たらせた。フレイヤだけは外に出さないように出入り口を封鎖させる。あの女はまだ建物の中にいて、九十二階ぶんを下りなくては窮地を脱することはできない。案じることはないと景山は心を静めた。このホテルのすべては私の掌中にあるのだから。
制御室につめた景山はまずエレベーターを停止する。複眼のような防犯カメラをくまなく監視して、廊下を半裸で逃げていくフレイヤを見つける。防火シャッターの一部を閉め、一部を開けて、フレイヤの逃走経路を誘導していった。事実上の袋小路に追いこんだうえで、エレベーターを一台だけ動かし、金の鍵(レ・クレドール)のエンブレムがついた制服の襟を正しながら廊下を抜けて、レセプション用の声と笑顔でフレイヤに語りかけた。
「お客さま、そんなお姿で廊下に出られては困ります」
びくっと振り返ったフレイヤは、手を交差させてローブの前を閉じた。髪は乱れ、汗だくで化粧も落ちて目のまわりがパンダになっているが、ホテルの制服をまとった景山を見て、警戒心を少し緩めるのがわかった。
「あなたはたしか、コンシェルジュさん」
「さようでございます。凄(すご)い音が響きわたったから、それで飛びだしてこられた」
「あの、エレベーターが停まってるんですけど。あなたはどうやってここまで」
「階段を上がってきたんです。こう見えても学生時代は陸上部でしたので足腰には自信がございます。あなたはデル・パンテオンにご滞在でしたね、マフムード公はこの騒ぎで動転なさっていませんか」
「実は、バルコニーから人殺しが入ってきて」
「待ってください、なんの話ですか」
「あれはあたしを狙って……だけどマフちゃんが先に見つかって」
「壁を登って侵入者が? いやいや、だって九十二階ですよ」
「噓と思うなら部屋を見てきて。銃声だって聞こえたでしょう」
「いずれにしても避難したほうがよろしいでしょう。安全な場所にお連れいたします」
景山はとっておきの私だけはあなたの味方です<Xマイルを顔に貼りつけて、持ち前の対人能力で少しず相手の警戒を解いていく。有能なコンシェルジュの面目躍如だ、おしゃべりが相手の心を落ち着かせることもあれば、沈黙でしかなだめられない動揺があることも心得ている。この二つを使いわけながら案内したのは八十九階のミドル・スイート、フラミニオ・スイートだった。あらかじめ申請をパスすれば、ホテルの従業員が空いている客室を使用(ハウスユース)できる。深夜帯の勤務、残業、帰宅できなかった災害時などのための措置だが、今夜は何かあったときのために景山が押さえていた。フレイヤを招き入れ、後ろ手にホテル錠(ナイトラッチ)を締めてしまえば、あとは景山の独擅場(どくせんじょう)だった。
- プロフィール
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真藤順丈(しんどう・じゅんじょう) 1977年東京都生まれ。2008年『地図男』で、第3回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞しデビュー。同年『庵堂三兄弟の聖職』で第15回日本ホラー小説大賞、『東京ヴァンパイア・ファイナンス』で第15回電撃小説大賞銀賞、『RANK』で第3回ポプラ社小説大賞特別賞をそれぞれ受賞。18年から19年にかけて『宝島』で第9回山田風太郎賞、第160回直木三十五賞、第5回沖縄書店大賞を受賞。著書に『墓頭』『七日じゃ映画は撮れません』『しるしなきもの』『黄昏旅団』『夜の淵をひと廻り』『われらの世紀 真藤順丈作品集』など。