グレート・ナンバーズ
真藤順丈Junjou Shindou
「よろしければ着替えをお持ちしますので、お召し物を脱いでシャワーを浴びてはいかがですか」
「ありがとう、結構です」
「お体のほうは? 臨月とお見受けしますが」
「大丈夫です、あたしも、この子も」
部屋まで連れてくるまではよかったが、フレイヤは面持ちを緊張に強ばらせたままで気を休めるように言っても、景山をパーソナルスペースに入れないどころか一定の距離を開けている。ポリッシュを塗った爪を嚙(か)み、しきりに何か考えごとをしていて、センターコンソールに飾られたオブジェにふれたりしている。
「オベリスクはご存じですか」
景山はあれこれと話題を変えながら、フレイヤに近づく隙をうかがった。
「ローマやエジプトなど、世界中で見られる直立の石柱です。側面には王の名前や神への賛辞がヒエログリフで刻まれ、太陽神とともに王の威を示す象徴で、古くから地元の人たちに親しまれてきた。このホテルのスイートルームには、各地のオベリスクにちなんだ名称がつけられています。アゴナール、ヴァチカノ、ルクソール、デ・ドゥガリ、デラ・ミネルヴァ、デル・パンテオン……客室にはそれぞれのオベリスクの縮尺オブジェを置いています」
「そうなんですか、デル・パンテ、とかなんのことかなと思ってたんです」
「現存するオベリスクとおなじ数のスイートルームがあるんですよ」
「……ねえ、コンシェルジュさん、やっぱり警察を呼んでもらえますか」
「警察ですか、警報機の騒ぎでロビーにたくさん詰めかけてますが」
「そうじゃなくて、殺人課の担当者を」
「殺人課」
「マフちゃんは殺された。たぶん私のこともどこまでも追ってくる。だから……話しづらいこともあるけど、この子のためにもすべて話して保護してもらわないと」
「ご事情がおありのようですね、承知いたしました」
噓だ。景山は承知していない。要望を承るつもりはない。
警察に保護させるよりもまず、この部屋から生きて出すつもりはない。
「しかしですね、なんと通報したらよいか」会話の接ぎ穂を探しながら、景山は気づかれないように少しずつ女のパーソナルスペースに近寄っていく。「ホテルの保安管理面の問題もありますし、腰を下ろして私にあらためて経緯を聞かせてもらえませんか。暴漢が壁を登って部屋に侵入し、あなたと三世を襲った。王族が泊まっていると知ったうえでの犯行なんでしょうか」
「あの、私は一度も壁を登ってきたとは言ってません。それはあなたが言ったこと。窓から入ってきたと聞いたら、この高さならバルコニーに潜んでいたと疑うのが普通じゃないですか。私は九十階まで登って押し入り強盗を働く人間がいるとは思えません」
「そんなことありません。このホテルの周辺は細民街ですから、刺青を入れた殺し屋なんてうようよしています。彼らは金次第で命でも賭ける。生活に困窮した者たちを見くびってはいけません」
- プロフィール
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真藤順丈(しんどう・じゅんじょう) 1977年東京都生まれ。2008年『地図男』で、第3回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞しデビュー。同年『庵堂三兄弟の聖職』で第15回日本ホラー小説大賞、『東京ヴァンパイア・ファイナンス』で第15回電撃小説大賞銀賞、『RANK』で第3回ポプラ社小説大賞特別賞をそれぞれ受賞。18年から19年にかけて『宝島』で第9回山田風太郎賞、第160回直木三十五賞、第5回沖縄書店大賞を受賞。著書に『墓頭』『七日じゃ映画は撮れません』『しるしなきもの』『黄昏旅団』『夜の淵をひと廻り』『われらの世紀 真藤順丈作品集』など。