グレート・ナンバーズ
真藤順丈Junjou Shindou
塔にあらがう者の、抹殺。
事実を知る者の、抹殺。
「お発(た)ちですか」と景山は言った。「今夜はいろいろと予期しないことが起こりすぎました。どうも誤解があるようなので、私どもの至らなかったところはお詫(わ)びして、あらためてお話しをさせていただきたいのですが」
「景山さん、この人はまず病院に連れていかないと……」
「そうですよ、出血もしていて」
「お前たちは口を出すな」
アッシャーたちの言葉を一蹴すると、景山はフレイヤのもとに歩み寄る。確執や混乱の去らないこの場面を自分だけが制御できると信じていたし、信じていることがフレイヤたちにもわかる。ホテルの出口はすぐそこなのに、この男は何度でも何度でもこうして立ちはだかるだろう。そびえ立って崩落しない石柱(オベリスク)のように。
「村藤さんたちも、このホテルに泊まっていた。あなたが彼らを……」
「他のお客さまのことに関しては、回答しかねます」
「お話というのは、バロン・イヌイに送った手紙のことですね」
「ここではちょっと、私のオフィスにお越しくださいませんか」
「わかりました。自分の足で歩きますから」
「あなたは思いちがいをなさっている。私がもっとしっかり説明できていれば」
「ちょっと起こしてください」
「かしこまりました」
差しのべられた景山の手を取ると、肘をからめとって、抱きつくようにフレイヤは立ち上がった。要介護者の介添えをするように、あるいは夜伽(よとぎ)の相手の体を自在に支配するように。わずかな一瞬、景山の関節を見えない縄で縛るように、すべての挙動を封じこめてしまう。景山の腕を折りこむように抱きすくめ、もう一方の掌を肘の内側にあてがい、隠し持っていた注射器の内筒(ブランジャー)をひと息で押しこんだ。
姉弟やアッシャーたちには意味がわからない。不思議な瞬間だった。フレイヤが意表をついて、自分を追ってきたコンシェルジュに密着して抱きしめたのだから。
だけど景山には、意味がわかる。
フレイヤにもわかる。
キドーが持っていたちいさな真鍮(しんちゅう)のケースに入っていた。暗殺者の装備なのだからそれは毒物だと確信した。もしも毒物でないのなら、景山にも害はない。しかし自分を殺(あや)めようとしていたなら─
なぜだ。なぜ体が動かなかった? こんな細腕の女になぜ好きなようにされて。あるいはそれこそが神殿娼婦などと大仰な異名がついた理由か、神がかった異能か? 景山はほとんど狂笑しながら抱きついたフレイヤを引き離し、茫然としている一同のはざまをそのまま通りすぎてエレベーターホールに向かった。もしもあの毒が体内に入ったなら、効き目が表われるまではどのぐらいだ。薬効を無効化する術はなかったか。とにかくエレベーターに乗って、みずからのオフィスに戻らなくてはと思った。
- プロフィール
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真藤順丈(しんどう・じゅんじょう) 1977年東京都生まれ。2008年『地図男』で、第3回ダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞しデビュー。同年『庵堂三兄弟の聖職』で第15回日本ホラー小説大賞、『東京ヴァンパイア・ファイナンス』で第15回電撃小説大賞銀賞、『RANK』で第3回ポプラ社小説大賞特別賞をそれぞれ受賞。18年から19年にかけて『宝島』で第9回山田風太郎賞、第160回直木三十五賞、第5回沖縄書店大賞を受賞。著書に『墓頭』『七日じゃ映画は撮れません』『しるしなきもの』『黄昏旅団』『夜の淵をひと廻り』『われらの世紀 真藤順丈作品集』など。