-短編ホテル-「サンセールホテル」

サンセールホテル

柚月裕子Yuko Yuduki

「水野さま、そのお姿のままだとお風邪を召されてしまいます。よろしければお着替えになったあと、改めてお話を伺えませんでしょうか」
 水野はバスローブ姿の自分を眺め、ばつが悪そうに襟の合わせを手で閉じた。三輪と秋羽、宮田の三人を順に見やり言う。
「わかった。着替えたらフロントに電話するから」
「お待ちしております」
 三輪は深々と頭をさげてドアを閉めた。
 宮田は広大の制服の袖をつかむと、通路の奥に強引に引っ張っていく。通路の突き当りには、ホテルのバックヤードに続くドアがあった。
 宮田は「STAFF ONLY」のプレートが貼られたドアのなかへ入ると、堰(せ)き止(と)めていた声を吐き出すように広大を怒鳴った。
「秋羽くん! 掃除のときに部屋の設備のチェックはしたんだろうな。清掃のときに排水口でなにか気づいたことはなかったか。一部が欠けていたとか、なかの部品が歪んでいたとか」
 広大は首を横に振った。
「清掃のとき、いつもどおり蛇口やシャワーなどの水回りのチェックもしました。でも、そのようなことはありませんでした」
 宮田は半信半疑というように、広大に確認をする。
「本当か」
 改めて訊(き)かれると、自信が揺らいだ。自分の記憶を改めて辿(たど)り、バスルームの清掃を丹念に思いだす。浴槽を掃除するとき、なにか気づいたことはなかったか。排水口の部品に、落ちた指輪が取れなくなるような問題はなかったか。
 いくら考えても、思い当たることはなかった。宮田の目を見て、確信を込めて言う。
「設備に問題はありませんでした」
 ホテル側に落ち度はない、そう聞いてほっとしたのか、宮田は落ち着きを取り戻した。声のトーンを落とし、むずかしい顔でつぶやく。
「問題は、お客様にどう納得していただくかだな」
 そこまで言ったとき、耳にかけているイヤホンから声が聞こえた。フロントからだった。着替え終わった水野が、広大たちを部屋に呼び出しているという。
 広大と三輪、宮田は顔を見合わせた。
 水野の剣幕を思い出したのか、宮田の顔から血の気が引いていく。情けない声で三輪に訊ねた。
「施設管理係の者に出てもらって、こっちに責任はないと説明してもらうか─」
 ホテルにある五つの部門のひとつ、管理営業部門のなかにある係だ。ホテルの設備管理や機器のメンテナンスを担当している。
 客のクレーム対応は、基本的に宿泊部門の担当だ。従業員はみな自分が担当する仕事で忙しい。担当外の問題に呼び出すのは気が引ける。
 同じように考えたのだろう。三輪は宮田の提案を押し戻した。
「まずは私たちで水野さまに説明して、ご理解いただけるよう努力しましょう。施設管理係に相談するのはそれからでも遅くないと思います」

プロフィール

柚月裕子(ゆづき・ゆうこ) 1968年岩手県出身。2008年「臨床真理」で第7回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞しデビュー。13年『検事の本懐』で第15回大藪春彦賞を、16年『孤狼の血』で第69回日本推理作家協会賞を受賞。他の著書に『慈雨』『盤上の向日葵』『暴虎の牙』『月下のサクラ』などがある。