-短編ホテル-「サンセールホテル」

サンセールホテル

柚月裕子Yuko Yuduki

 三輪の考えはもっともだと思ったのか、宮田はすぐに同意した。
「そうだな。まずはもう一度、水野さまからお話を聞いたほうがいいな」
 宮田は深呼吸をすると、四階の客室フロアへ続くドアを開けた。
 あとに続く広大は、肩越しに振り返り、後ろを歩いてくる三輪に訊ねた。
「こういうクレームは、いままでにもあったんですか」
 三輪は足を止めずに答える。
「ないことはないけれど、こんな高額なケースははじめて」
 広大はもともと貴金属には興味がない。ちょっとした車が買えるほどの金を小さな指輪一個につぎ込む気持ちも理解できないし、それを浴槽に持ち込む神経もわからない。
 四〇五号室の前に来ると、宮田が三輪を見た。
 三輪が頷き、チャイムを押す。
 出てきた水野は、裾が足首まであるワンピースを着ていた。三人をなかへ促す。
 水野が宿泊しているデラックススイートは、リビングタイプの部屋と寝室、ふたつのバスルームとパウダールームの造りになっている。
 リビングの応接セットのソファに座り、水野は立っている三人を順に見た。
「それで、どう弁償してくれるの。現金、それとも同じタイプの新しい指輪を用意する?」
 三輪は一礼し、水野に申し出た。
「申し訳ございませんが、変色した指輪を拝見させていただけませんでしょうか」
 水野はソファから立ち上がり、部屋に置かれているリビングボードに近づいた。うえに置いていた指輪を手にしてソファに戻る。
 指輪を三輪に差し出し、ため息をついた。
「とても気に入っていたのに。こんなになってしまって残念だわ」
「失礼します」
 三輪は指輪を受け取り、四方から眺めた。
「こちらの指輪はどのようなものでしょうか。かなりお高いものと伺いましたが─」
 水野は、宝飾については門外漢の広大でも知っているジュエリーブランドの名前を口にした。
「台座はプラチナ950。真ん中のダイヤはカット、カラー、クラリティ、カラットすべて申し分ないものよ」
 詳しいことはわからないが、かなり貴重なものらしい。
 水野は三輪に詰め寄った。
「さあ、答えて。この指輪、どうしてくれるの」
 三輪は水野に指輪を返し、落ち着いた様子で対応する。
「ホテル側といたしましては清掃時にお部屋にある備品すべてに、欠損や故障がないかチェックしております。このお部屋も担当の秋羽がしっかりと確認しておりますが、排水口にかわったところはなかったと申しております」
 水野は敵意むき出しの目を、三輪に向けた。
「それって、自分たちに非はないってこと?」
 三輪は明確な返答を避け、暗にホテル側に落ち度はないと伝える。
「私たちは日々、お客様に心地よくお過ごしいただけるよう努めております。接客はもとより、お食事、お部屋の清掃など、スタッフが一丸となってお客様をおもてなししております」

プロフィール

柚月裕子(ゆづき・ゆうこ) 1968年岩手県出身。2008年「臨床真理」で第7回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞しデビュー。13年『検事の本懐』で第15回大藪春彦賞を、16年『孤狼の血』で第69回日本推理作家協会賞を受賞。他の著書に『慈雨』『盤上の向日葵』『暴虎の牙』『月下のサクラ』などがある。