サンセールホテル
柚月裕子Yuko Yuduki
広大は頷く。
「はい、あとは東堂さんがすべて引き継ぐからと─」
広大の言葉を聞いた宮田は、ばんざいをするように両手をあげて大きく伸びをした。
「よかった、これでこの問題は解決だ」
晴れ晴れとした顔で言う宮田を、三輪が横から目の端で睨む。
「まだ問題は解決していません。東堂さんが向き合うことになっただけです」
宮田は三輪に反論する。
「私たち現場にとっては、それで解決なんだよ。いいかね、現場はうえと違ってすべてのお客様と向き合わなければいけない。この問題はもう忘れて、我々は通常の業務をしっかり行えばいいんだ」
納得がいかない顔をしながらも、三輪はそれ以上なにも言わなかった。
水野の話はそこで終わった。宮田は持ち場に戻るため退室し、三輪はスタッフルームに残り、書類仕事をするという。広大は宮田と同じく、持ち場へつくためスタッフルームを出た。
廊下を歩きながら、広大は水野のことを考えていた。
宮田の意見はもっともだと思う。客は水野だけではない。指輪の件は総支配人に任せて、自分の仕事をすればいい。しかし、それは客室係としての問題ではなくなっただけで、問題自体が解決したわけではない。
広大の脳裏に、水野の指輪が浮かんだ。
黒ずんではいるが、充分に美しかった。台座が光り輝いていたら、もっときれいなのだろう。
銀色に輝く指輪を想像していた広大は、ある考えが頭に浮かび足を止めた。
その場に立ち尽くし、考える広大の手にじっとりと汗が滲(にじ)んでくる。
いま頭に浮かんだ考えを実行したら、いったいどうなるのだろう。よかれと思ったことが裏目に出てしまったら、なにかしらの処分を受けるかもしれない。反省文や厳重注意ならまだいい。最悪、当ホテルには不向きな人材とされ、解雇処分を受ける可能性もある。
どうする。
悩む広大の耳に、東堂の声が蘇る。
─私にとってはホテルマンになってはじめてのミスで、いまでも忘れられない。
広大は覚悟を決めた。
きっと自分も、今回のことは忘れないだろう。でも、嫌な記憶として残したくない。少しでもいい形で覚えていたい。このままなにもしなかったら、ホテルにいられたとしてもずっと苦い思いを抱えて働くことになる。そんなのは嫌だ。
腕時計を見る。まもなく九時だった。
まだ起きているだろうか。
広大は急いで、歩き出した。
四〇五号室のドアに、DDカードはなかった。
「Do Not Disturb」。入室と連絡は一切しないでほしい、という意思表示を示すプレートだ。
- プロフィール
-
柚月裕子(ゆづき・ゆうこ) 1968年岩手県出身。2008年「臨床真理」で第7回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞しデビュー。13年『検事の本懐』で第15回大藪春彦賞を、16年『孤狼の血』で第69回日本推理作家協会賞を受賞。他の著書に『慈雨』『盤上の向日葵』『暴虎の牙』『月下のサクラ』などがある。