-短編ホテル-「サンセールホテル」

サンセールホテル

柚月裕子Yuko Yuduki

「さあ、仕事に入って。話し合いが終わったら、連絡するのよ」
 広大はふたりに深く頭をさげて、部屋を出た。
 そのあと、広大は仕事が手に付かなかった。
 とにかく失敗をしないよう心掛け、九時十分前には応接室へ向かう。
 応接室のドアをノックすると、なかから扉が開いた。
 東堂だった。
 広大は身体が固まった。
 東堂の、広大を見る目は厳しかった。どうしてお前がここに呼ばれることになったのか、と眼差(まなざ)しが訊いている。
 動けずにいると、東堂がなかへ促した。
「入りなさい。社長も水野さまも、もういらっしゃっている」
 広大は入り口で一礼し、なかへ入った。
 部屋の中央に置かれた応接セットのソファに、水野と社長が座っていた。水野が上座、社長が下座だった。
 東堂は社長の隣にあるひとり掛けのソファに腰を下ろし、自分の隣に用意していた肘なしの椅子を広大に勧めた。
 勧められるまま、広大は席に着く。
 センターテーブルのうえには、ハンカチを下にして黒ずんだ指輪が置かれていた。
 広大は身を固くしながら、社長と水野を見た。
 社長は、普段から厳(いか)めしい顔をさらに険しくさせ、どこかを見ている。水野はソファのうえでゆったりと構え、社長をじっと見ていた。
 この場を仕切ったのは東堂だった。水野と社長を交互に見ながら、指輪の件を改めて説明する。
 話が進むにつれ、広大は膝が震えだした。
 説明の結びは、広大が水野の部屋を訪れ、失礼なふるまいをしたことだろう。おそらく水野は社長に、広大の処分を求める。
 さらには、一度は収まりかけた怒りが広大のせいで再燃し、指輪が本物か否かは関係なく、変色したのはホテル側の設備が悪かったせいであり、精神的苦痛を受けたとして慰謝料の請求をしてくるかもしれない。
 広大は受け入れたくない現実から目を背けたくて、瞼(まぶた)をきつく閉じた。
 自分がしたことは水野のためにならなかっただけではなく、ホテルを窮地に立たせることにしかならなかった。
 自分の愚かさが恨めしい。
 東堂の話は、昨日この応接室で、水野が社長に会わせるよう求めたところまで来た。
 広大は身を縮めた。
 話はこのあと、なぜ水野がこの場に広大を呼びつけたのかの流れになるだろう。そして水野は、昨夜、広大が水野の部屋に来た話をする。東堂と社長の驚く顔が目に浮かぶ。水野は社長に、どのような広大の処分を求めるのか。
「─そして、水野さまのご要望ですが」

プロフィール

柚月裕子(ゆづき・ゆうこ) 1968年岩手県出身。2008年「臨床真理」で第7回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞しデビュー。13年『検事の本懐』で第15回大藪春彦賞を、16年『孤狼の血』で第69回日本推理作家協会賞を受賞。他の著書に『慈雨』『盤上の向日葵』『暴虎の牙』『月下のサクラ』などがある。