サンセールホテル
柚月裕子Yuko Yuduki
続く言葉に、広大は身を固くした。
東堂は社長を見やり、水野の要求を伝えた。
「社長の口から、指輪は偽物である、とおっしゃっていただくことと、謝罪の言葉です」
広大は伏せていた顔をあげて、水野を見た。
水野は無表情だった。鋭いまなざしで、じっと社長を見ている。
広大は戸惑った。いままでの流れから、なぜ水野がこの場に広大を呼んだのか、との話になると思っていた。しかし、水野が話す様子はない。水野は広大を怒ってはいないのか。ならば、なぜこの場に広大を同席させたのか。
その疑問以上に、広大がひっかかった言葉があった。東堂が言った、謝罪、だ。
昨日、水野が要求したのは、社長からこの指輪は偽物だ、と述べることだ。謝罪までは求めていない。なぜ、東堂は社長に謝罪させようとしているのか。
東堂が重ねて言う。
「社長、水野さまのご要望をお聞き入れください」
社長は憤懣(ふんまん)やるかたない様子で、唇をきつく結んでいる。水野の要望を受け入れたくないのは明らかだった。
水野の要望を受け入れようとしない社長に、東堂は呼びかけることで決断を迫った。
「社長」
受け入れるしかないと諦めたらしく、社長は絞り出すように言った。
「この指輪は偽物です。申し訳ございませんでした」
社長は自分の膝頭を掴み、頭を垂れる。
隣で東堂も、首を折った。
慌てて広大も、ふたりに倣う。
わからないことだらけで、頭のなかが混乱している。
水野が自分を呼び出した理由もだが、なぜ社長が指輪が偽物であることを謝罪するのかもわからない。
社長の態度もそうだ。
水野に対する社長の言動は、客に対するそれではない。どうして敵意があるような応対をするのだろうか。
隣で東堂が姿勢を戻す気配がして、広大も頭をあげた。
水野は満足げな笑みを顔に浮かべた。
「社長のお言葉、この耳でしっかりと拝聴しました。これで指輪の件はなかったことにいたします」
水野がそう言うと社長は、一秒もこの場にいたくない、とでもいうようにソファから立ち上がり、部屋を出て行った。
社長がいなくなると、東堂は改めて水野に謝罪した。
「このたびは、当ホテルの社長が水野さまに、まことに申し訳ないことをいたしました。重ねて、社長にかわりお詫びいたします」
社長が出て行ったドアを見つめていた広大は、驚いて東堂を見やった。
指輪が変色したのは社長のせいではない。どうして東堂は、社長に責任を限定するのか。
水野が東堂を憐れむように言う。
- プロフィール
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柚月裕子(ゆづき・ゆうこ) 1968年岩手県出身。2008年「臨床真理」で第7回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞しデビュー。13年『検事の本懐』で第15回大藪春彦賞を、16年『孤狼の血』で第69回日本推理作家協会賞を受賞。他の著書に『慈雨』『盤上の向日葵』『暴虎の牙』『月下のサクラ』などがある。