よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)4

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

   二十一 (承前)

 晴信(はるのぶ)にも不安がないとは言えなかった。
 しかし、ここで物怖じする姿を家臣に見せるわけにはいかない。
 何よりも、小笠原(おがさわら)長時(ながとき)は内政に専心していた晴信を嘲笑うが如(ごと)く兵を向けてきたのである。これを看過すれば、武田家が多大な犠牲を払って掌中に収めた信濃(しなの)領を完全に失う怖れがあり、新たな惣領(そうりょう)として毅然(きぜん)と対峙(たいじ)する必要があった。
 甲斐国内に陣触(じんぶれ)が発せられ、武田勢は迅速に戦(いくさ)支度を調え、八千の兵で須玉(すだま)の若神子(わかみこ)城へ向かう。そこで総軍の点呼を行ってから周囲に物見を放った。
 報告によれば、敵勢は瀬沢(せざわ)の手前まで先陣を押し出しながら、武田勢が出陣したことを知り、本隊を後方の茅野(ちの)に移動したらしい。それでも、信濃と甲斐の国境(くにざかい)ぎりぎりで軍勢を展開させるという布陣だった。
 それを受け、若神子城で軍(いくさ)評定が開かれる。
「敵の鼻柱を叩くためには、小淵沢(こぶちさわ)にある笹尾(ささお)砦と先達(せんだつ)城を足場にしなければならぬ」
 信方(のぶかた)が一同の前に広げられた大地図を指しながら状況を説明した。
 笹尾砦は若神子城から北西三里(十二`)ほど離れた河岸段丘に築かれた要害であり、そこから一里半(六・五`)ほど北西に先達城がある。いずれも武田勢にとって小淵沢の要衝だった。
 そして、先達城からさらに一里半を北西に進めば、敵が先陣を構えた富士見の瀬沢である。
 信方が言ったように、敵の鼻柱たる先陣を叩くためには、確かに先達城を最前線とするべきだった。 
 それを聞いた原(はら)虎胤(とらたね)が皮肉な笑みを浮かべて呟(つぶや)く。
「何やら、時を戻されたような心持ちになるな。まるで、われらが初めて信濃へ出た時と同じ戦模様ではないか」 
 確かに、その通りだった。
 享禄(きょうろく)元年(一五二八)に武田信虎(のぶとら)が諏訪(すわ)へと打って出た時、甲斐と諏訪の国境は富士見にある境川(さかいがわ)とされており、小淵沢一帯を巡る諏訪家との戦いは熾烈(しれつ)を極めた。その時、笹尾砦と先達城が国境を睨(にら)む足場として築かれたのである。
 今回の小笠原勢を迎え討つ武田勢の布陣は、まさに一昔前の戦いの再現のようであった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

Back number