よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)11

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 この評定が終わり、しばらくして雪斎を訪ねてきた者がいる。
 油焼けしたような色黒で、右眼を黒い眼帯で覆った異形の者である。幔幕裡(まんまくり)に通されたその漢は、外側に曲がった右足が不自由とみえ、右手に杖(つえ)を握っていた。
「おお、菅助(かんすけ)か。いかがいたした?」
「旅立つ前に、陣中御見舞いにまいりました」
 菅助と呼ばれた漢が頭を下げる。
「まあ、こちらに掛けるがよい」
 雪斎が家臣たちの座っていた床几(しょうぎ)を示す。
「失礼いたしまする」 
「次はどこへ行くつもりだ?」
「松本平(まつもとだいら)へでも行ってみようかと思うておりまする。何を血迷うたか、小笠原(おがさわら)長時(ながとき)が奇妙な動きをし始め、信濃の中部が騒がしくなっておりますゆえ」
「ほう、さすがに眼のつけどころがよいな。ならば、ここから足助宿(あすけじゅく)へ行き、三州(さんしゅう)街道から塩尻(しおじり)へ入ってはどうか」
「塩の道にござりまするか」
 色黒の顔を歪(ゆが)めて山本(やまもと)菅助が笑う。鬚(ひげ)に覆われた口元から乱杭歯(らんぐいば)が現れた。
 岡崎から信濃の塩尻宿へ至る三州街道は、別名、塩の道とも呼ばれている。
 三州街道は東海道の駿河(するが)、遠江、三河で作られる塩を内陸へ運ぶための要路であり、東西に走る東山道(※後の中山道)と交わる塩尻宿は、文字通り塩の集積地だった。
 そして、今川家はもうひとつの塩の道を押さえていた。
 それが、遠江の御前崎(おまえざき)を発する秋葉(あきは)街道であり、これが伊那(いな)街道と繋(つな)がり、塩尻にまで至る。太平洋沿岸で取れる塩は特に「南塩」と呼ばれ、その良質さから内陸部での需要が多く、今川家の大きな収益のひとつとなっていた。
 反対に、「北塩」と呼ばれるものもある。越後(えちご)を中心とし、日本海沿岸で取れる塩が糸魚川(いといがわ)宿に集められ、それが千国(ちくに)街道を南下して塩尻まで運ばれていた。
「ついでに北の塩の具合も見てきてもらえるとありがたいのだがな」
 雪斎もにやりと笑う。
 北塩を出荷する越後の上杉(うえすぎ)家は、いわば南塩を売る今川家の商売敵(がたき)である。
 塩尻に集積される塩の種類を検分すれば、それがどのぐらいの割合で仕入れられているかを読むことができるはずだった。
「承知いたしました」
 山本菅助が頷(うなず)く。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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